まわれアザラシ、棍棒よけて。

公演の宣伝用ブログ 兼 雑記

21歳⑱

TITLE: よかった芝居について、ようやく書く。しかし、あまりに遅い。

CATEGORY: 演劇 

DATE: 10/31/2011 22:18:28

BODY: いっぱいあるんだわこれが、

たくさん見た中のほんの一部、書いてない芝居もほんとに面白いものがたくさん、なのだが、


イキウメ「散歩する侵略者
・物販にて台本買った。
なんと、五月だぜ、観たの。イキウメ、物語界のなんというか、ほんとに質のいいエンターテイメント、かつ、インタラスティン! あんまり横文字使うと、日本語が喋れないバカみたいだから、言い方変えたら、観ていて続きがホントに気になる、あっというまの上演時間、美しい構成。よっぽどひねくれてても面白さは認めざる得ないよなぁ。オチは絶対に言えません、でも、美しいっ!

終焉後、前川さんと、知り合いでもなんでもないけれど、話しかけたらちょっと話してくれた。

この芝居の参考作品は、「ウルトラセブン」特撮の初期作品は、残酷で、かつ暗くて、でも、作り手の真剣さが見えるからいい。たとえ、キグルミのチャックが見えてもね、設定や工夫で、ドキドキさせてくれる。子供じゃなくてもね。


「パール食堂のマリア」青組
小劇場演劇がほんとに好きだなぁって、アゴラの、狭い客席に座り込んで、しみじみ思ったのが、青組の「雨と猫といくつかの嘘」でした。なんか、居たい空間。ここの住人になりたいなぁっていう。

今回は星のホールでやってたんだけど、あそこは、小劇場というには大き目である。
しかし、惹きこまれた、それも前回以上かも。野田秀樹のやろうは、「大劇場でもできてこそ、本物だ」みたいなことを言っていたが、本物感はあるねぇ、やはり。美しいよ、ことば、出てくる人の使う言葉。猫がしゃべる言葉。情景。感情のやりとり。キャラクターが魅力的だよ。人間人間してる。じつに好みです。


ゲヘナにて」サンプル
コラージュのように、情景が次々と飛び出してくる。なにか一物隠している、隠しきれない気持ち悪さを感じる。物語の、単純に順を追って語られるストーリーだと受け止めたら、わかりにくい。でも面白い。イメージが明確にある。デタラメじゃない。想像させられる。

「塩ふる世界」マームとジプシー
腹立たしい劇団だよなぁ、チケットとるのが、ドンドンめんどくさくなっている。と、いうのは、発売してすぐに買わないと売り切れるってことだよっ! ちぇ!

東京デスロック主宰のイケメン、多田淳之介をして、「現代の演劇をさらに加速させた一本、20代でやることは、ほとんどやり終えたんじゃないか、柴(幸男)くんより、早い、すごい才能」みたいなことを言わせた作品。

まぁ、外聞はともかく、パクリたくなるような、なんでこんな世界を、この人は、こんな見方をしているんだっていう、作品。マームは先輩との話のなかでもよく上がるけど、この人は、どフェチだよねっていう。役者に対する執着、動きに対する執着、確固たる自分の世界に対するそれ、自閉的な。でも、ものを作るうえで、とても大事なもの一つだと思うな、フェチズムは。


「家電のように解り合えない」チェルフィッシュ×森山開次
この台本を収録した悲劇喜劇購入。同時収録は「トータルリビング」

台本で読んでもこれはわかりにくい。すげぇんだわ森山開次の体が、美術家、金氏徹平の手がけたセットが(というか、作品だね、)

ダンサー森山開次の鬼気迫るっていうか、ほんっとに怖い。意図的に伸ばしているであろう長髪もあって、野獣? 獣(比喩じゃないよ、ほんとっ)のようなダンスと、

チェルフィッシュのそれ、
小学生のほうがまだ一生懸命だろ? っていう体と動き。簡単に言う、わかりあった、ってことばの軽さ、うさんくささ
を証明? するのにほんとにピッタリだった。そりゃむりだよ、あれはぜんぜん違う生き物だよ。才能と努力の上に到達するバケモノだよ。

そして、会場にいるわれわれは、芝居を観て、
解り合えたといえるのか?

解り合えないかもしれない。いや、解り合うってなんだよ。そう思っている、状態か?
しかし、チェルフィッチュの二人と、開次が一緒におにぎりを、大きな会場の舞台のど真ん中で、おにぎりを食べているシーンは、ほほえましい。やはり解り合えないのだけれど。なにか、ほっとする。その前のシーンで森山開次が鬼になっていたからか?

意味のないね、ものがね、たくさん出てくる。よくわからない映像、よくわかんない、動き。ハナシ。腹立たしいほどばかばかしい茶番のシーン、しかもそれをまったく感情をこめずに演じる役者たち。

なんだかなぁ、いろいろ刺激的だよ。だったまだ全然覚えてるもん。

チェルフィッシュという劇団が、こんなばかばかしい、脱力した表現をするんだ、と思って、ぐっと好きになった、一本でした。


「トータルリビング」遊園地再生事業団
「家電〜」と、同じ号の悲劇喜劇に収録。これはうれしい。

まず、言いたい。僕は、好きだな、この作品。観て、よかったなぁ。

震災、って、日本って? 僕らって? 僕らの世界って?

観て、考えさせられるような、なんらかのことをしなきゃいけないっていうような、
今回だと「忘れるな」っていうメッセージ性の強い作品は、
すこし苦手だなってのが、僕にはあるけれど、この作品には、臭みを感じなかった。

まぁ、はっきりいって、3・11という題材が、いかに自分にとって身近である、当事者意識がある(それはないか)すくなくとも、自分自身の、日々考えている、テーマの、一つである、ということが大きいのだけれど。

つまり、〜差別や、9・11地下鉄サリン事件や、拉致問題、領土問題、政権交代、などに比べて、いかに私と関わっていることか、体験したことか、というのが大きかったのだけれど。(それは実感というレベルで、)

それは、たぶん、宮沢さんも同じだったのだと思う。だから、書いたのだろう、これを。声を、集めたのだろう。

「今日は、なんだか、いつもより優しいね」

の、一言が、わかるか、である。うーん、今回の震災と全然関係ない人が見たらどうなんだろう。
しかし、ひさしぶりにこういう芝居を観た。芝居のひとつの力を、一面を。




ここまで書いておいて、このメモ、意味をなさないなぁ、この感想群なんか薄くない? って思う。
印象は、やはりすばやく写さないと、熱が違うね。

つづく?

わたし、これから、蔦屋に行ってきます。

〜〜〜

異論がいっぱいあるなぁ。

前は、作品について人の感想に異論なんて持っても……(うろおぼえ)みたいなことを書いたけど、やっぱり3日くらいたったら、人間、違う人間になるね。

(それとも、作品そのものについての意見(WHAT)には異論はなくても(自分と違っても)それを伝える言葉遣い(HOW)には違和感とともに遺憾の念を表したくなるものなのか。そうかもしれないが、それはそれで、めんどくさいな。どんな(HOW)でもOKじゃないの? 異論を持つってことはOKじゃないと思っているのだな。今のところは。) 

 

異論の一番大きな所は、

よく知りもしないことを断言するなよ。

ということ。と、言葉の使い方が非常に雑であること。

 

おれがここに書いた文章もまたすぐに否まれることを承知で

過去の文章に対する否みを続けるが、(その連続でいい)

 

いっぱいあるけど、例えば、

 

「まったく感情をこめずに喋る役者たち」といっても、

それは、見ているおれにはわからないことでしょう?

言うならば「まったく感情を込めないように見える」だし、

もう覚えてないからわからないけれど、それは本当に感情が見てとれないものだったのか? 「まったくない」という言葉と、「かすかである」「通常良く見るそれの様ではない」というところにはもの凄く大きな崖がある。

 

あと、マーム評の、借り物の言葉をつかって、何も言っていないに等しい引用の仕方、非常にダサくて嫌ですね。

 

と、思いました。