まわれアザラシ、棍棒よけて。

公演の宣伝用ブログ 兼 雑記

昔風のブログ

ひさびさにブログを書く。

昔、今から10年以上前、ヤプログで駄文をがんがん書いていた、そのころと全く同じ精神で書く。

つまり、誰も興味のないであろう、自分の精神生活のことだけを書く。

 

今ブログって言やぁ、金稼ぐために、PV数を稼げる話題とかキーワードとかを使って、記事の最後にスポンサーの宣伝とかリンクとかハメて副業的な収入を得る手段、っていうイメージで(あと純然たる仕事の広報や報道のためのブログとか)

じゃあいま書こうとしている、ブログ=日記みたいなものっていうおれの第一印象は、一体いつの時代に培われたものなんだろうと考えてたら、色々と思い出した、

そもそも高校の演劇部の活動報告が、おれのブログの原点で、それから先輩が日記的に書いているブログを目撃して、自分も真似して日記的なブログを書き始めたのだった。

そこに特に意味はなかったし、自分に何が書けるのか出力してみよう。できるだけ、しっくりくる文章で。ということ、それだけが目的であり、書いたら即DONE !で。何も達成してなくても書くだけでよかった。問題はしっくりくるかだけだった。

 

その感じを、いま一時的に再開する。

 

◎年月の残酷さ

いま、32歳だ。ゲバラ川端康成(あと菊地成孔)と同じく6月14日になるたび一つ年を取る。32歳になってからまだ一月も経ってないけど、気づけば10年経ってるだろう。それか死んでるか。

 

思えば暗い30代だし、もっと思えば20代の後半も暗かった。

暗いつーのは、劇的なことや美しいことや、素晴らしいことが僕自身には、あんまり感じられなかったってことで(感じてないだけで、日々、それは恩寵のような出来事だらけだったに違いないけれど)

いってみれば不感症だ。感じられすぎて暗い、ということもあろうけど、どちらかというと、それは感性の鋭い人が通る道で、鈍な俺はほとんど何も感じず、飯を食い、糞をして、オナニーきめて、ぬるぬると年を取っていった。(まったく、ゲバラと同じ月、同じ日に産まれたとは思えねぇ)

いくつか戯曲を書いたり、公演に関わったりもしたが(それだって恩寵だ)それだってぬるぬるしていた、人生に何か確固たるものが積み上がっていくみたいな感覚はゼロで、ま、感覚っていうのは主観的なものにすぎないから、もしかしたら、積み上がっていく、なんて全部妄想だから、この世の摂理をただ正確に感じ取っているだけかもしれないけれど、まじで一切は過ぎゆくし、無意味って感じ。

さりとて死にたくもなし、つーか、むしろ、いっぱい生きたい。休みが欲しい。

 

そういえば、癌かもしれないって、3回ぐらい医者に言われたのが去年から今年にかけてで、半年に一回検査をする。次の検査までもう一月切ってる。

たしか去年公演をしているときに、なんの癌かしらないが、「疑陽性」って言われて「陽性だったら癌ですけど、どっちかわからない状態です、もっかい検査することを推奨します」ってなって、それから2回くらい検査して「今回はいけそうですね、まだ癌って言い切れない感じです。じゃ、次は半年後にもっかい検査しましょう」って言われた。

おれは酒はあんま飲まないし、タバコもやんないし、毎日だいたい7〜8時間くらい寝るし、野菜も好きな方だけど、昔から虚弱体質で、すぐ疲れて、なんだかんだで長生きはできないんだろうなぁーという気がしている。不注意だし。

でも許されるなら1000年くらい生きたいと、基本は思っている。

(まだ読んでない漫画や本*1がいっぱいあるけれど、じっさい、それらを読めないまま、死ぬしかない、死んだ後も、素晴らしいものがたくさん生まれてくるのだろうけど、自分はそれを知ることすらできない、と思うと、切なすぎて、永遠に生きたいと思う。)

まだ目立った苦しみが体になく、老いや、友人知人の死などを知らず、みんな元気で、ご飯が美味しく、たのしく、美しいものばかり見てきている、今のうちに、眠りに落ちるようにすっと、この世を去りたいとときどき考える。夜、布団の中とかで。

未来が常に怖い。

ほんとうにビビりで、心臓がちいさく(実際に、スモールハートというやつで、体の大きさに対して心臓が小さい。疲れやすさの原因らしい)毎日いろんなことにビビっている。ビビらない人は気にも留めない意識もしないようなことで、いらぬ思考を堂々巡りしている。

(でも、ぼくよりビビリの人はぼくが意識もしないようなことで日々神経を擦り減らし、くたびれているんだろうなと思う)

 

*1:おまえは漫画は本じゃないと思っているのか