まわれアザラシ、棍棒よけて。

公演の宣伝用ブログ 兼 雑記

20歳③④

TITLE:可能性を失う悲しさ

DATE: 05/04/2011 20:47:54 -----

BODY: 自分にとって当たり前のことを書く。人にとって当たり前かは知らない。

父方のおばあちゃんが死んだ。

悲しさは、あまり、ない。取繕っていえば、大往生だったから、とも言えるが、もともとあんまりよく知らない人だった。

恐ろしいほど心が動かなかったので、なぜのこんなに悲しくないのか、考えた。ものすごくまじめに。すこしだけ厳粛な気分になった。


人は可能性が失われたとき、すごく悲しいのではないかと思った。おばあちゃんが死んで、僕から奪われた可能性を、あまり思いつかなかったのだ。

清志郎が死んだとき、泣いた。ガンになる直前の清志郎はノリノリで、出す曲出す曲が、輝いていた。黄金時代、再び、という感じだった。もう新しい曲が聞けないと思うと、悲しかった。また復活したら絶対LIVEにいってやる、そう思ってたのに。

志村正彦は29歳で死んだ。だれがなんと言おうとオレは悔しい。

遠くの国の戦争と、自分の国の地震、自分の人生に影響を及ぼす友人の不幸と、赤の他人の不幸、どちらが自分と関わるか。

生きたかった人生が生きられないと悔しい。可能性を奪われると悔しい。一緒に居たかった人と居れなかったり、行きたかったところに行けなかったり。病気になってやりたいことができなかったり、家が燃えて、もうそこには帰ることが出来なくなったり。おいしいものが食べられなくなったり。

だから、自分の死も悲しい。全ての可能性を失うから。
自分の可能性を少なく見積もるほど、死は悲しくなくなるのかもしれない。
自殺なんて、プラスの可能性を考えられたらできないのでは。

淀川長治は晩年に、『ピアノ・レッスン』のような映画が次々と封切られると思うと、死ぬのがホントにやりきれない、と言った。
伊藤計劃は、「肺が全部ダメになってもいいから、小説が書きたい。あと、40年から50年は書きたい」といって死んだ。

可能性のことを考えるから悲しい。今しかなければ、悲しくない。

あのとき、ああすればよかった。
あの人は、ああしていれば、ああはならなかったのに。、
ああだったら、いまごろああだったのに。
ああなるのと思うと悲しい。


逆に、可能性のことを考えるから楽しい、ともいえる。
例は出すまでもないでしょう。可能性を考えている段階が一番楽しかったりもする。だから、芝居づくりなんて楽しいんだよ。

たとえ死ぬ直前になっても、楽しい可能性を考えることができれば、恐怖は少なくなる。(自分の子供のこれからの人生や、自分のやったことが多くの人間に及ぼす影響を考えて楽しむだとか、これから食べるおいしいものを考えるとか)

あたりまえのことを書いた。でも、あたりまえのことを考えるのはとても大事だと思う。芝居を書く上で、人間の心のメカニズムを考えるのは大事だろう。理解して、うまくなぞることができれば、共感を生むだろう。(そうだ、たぶん共感も可能性の想像だ!)心という熱い単語に、メカニズムという冷たい感触の言葉を使うのは、どうかなと思ったりもするけれど。

〜〜〜

この記事を転載するか、少しだけ悩んだのは冒頭の祖母の死についての記述があるから。

今だったら違う言い方をする。だけど、そもそもこの記事を書いたきっかけは祖母の死だった。

 

悲しくないことが悲しかったと書くと綺麗な嘘過ぎるからそれは違う。

でも、初めての身内の死に、思ったことを書きたかったのだと思う。 

このときリアルな気持ちを書いたからこそ、これを読んで、思い出すことも多い。

 

可能性の話は、いまだってそう思う。

悲しいこともそうだし、それよりも、後悔するような、悲しいことにならないように、可能性のままで終わらないように動かなきゃとか、綺麗なことを思ったりもする。