まわれアザラシ、棍棒よけて。

公演の宣伝用ブログ 兼 雑記

TITLE: 最近思ったことアレコレ

CATEGORY: 思ったこと

DATE: 05/14/2011 20:42:40

BODY:

(日)ツイッターとブログについて最近、よく人から
「やすもツイッター始めなよ、いいよぉーアレはぁ。」なんて言われる。そのときは適当にハグらかすけど、ホントはやってんだよね、更新微妙だけど。

で、なんで(ツイッターやってることを)人に言わないかっていうと、やっぱ恥ずかしいじゃない?
ブログに関しても、なるべく人に言わないようにしている。ついポロっと、「あ、しまった、言っちゃった。検索するなよ? まぁ忘れろ、忘れなさい」みたいな感じで発覚することはあるけど。

おかしいと思いますか?

だって人に見せるために書いてるんでしょ? ツイッターなんか会話なんだから、フォロワー増やして、指が磨り減るぐらい、ケータイいじって、余所見して、車に轢かれるぐらいしなきゃ、意味ないじゃん、なんて。

じつは最近、そんなに見せたくないことに気がついた。いや、ちょっとは見せたいんだけど。

感覚が古い? しかし、もともと、そんなにオープンだっけ? 人間って? 自分の考えていることとか、書いてる日記だよ?あんまり見せたくないよね。
つぶやきって? 自分からサトラレになるみたいな。 もっと人間の考えてることって、秘密でいいんじゃない? 

日本人よ、というか、人間たちよ、いつからそんなにオープンになったんだ君たちは。

あんまり恥ずかしいことは書かなきゃいいんじゃない?ということかもしれないけれど、ペンと紙を持っているのに書くなというのは、残酷じゃないでしょうか? ついすべっちゃうよ、筆が、キーボードだけど。

昨日の夜、何を考えたか、目の前の人間は知っている。ひょっとしたら知らない人も、アナタのストーカーも、国家の秘密組織も。これって想像以上に恐ろしいことじゃない? 度胸いることじゃない?

道具(ツール)は使い主しだいで、いいものにも悪いものにもなるというと、それまでだけど、
僕自身としては、この感覚を忘れたとき、ボクは少しだけボクじゃなくなる気がする。(そりゃ日々刻々と変化しているんだけどさ)それは、どうなんだ? いいことなんだろうか? まだよくわかってないのだ。
 

暗ぁい、教室の片隅で、うつぶせになって寝たフリしながら、面白いことを考えているやつが、それをツイッターでつぶやこうとした瞬間、なにかが変わる気がする。ちょっと違うんじゃないそれは? 不純じゃない、なんて。

うまく言葉で説明できないんだけどさ、一人でクスクス笑うとき、なにが面白いかなんて人にいう気がおきないよ、独り占めしたいのよ、そのおかしさを、自分の頭んなかを、自分ひとりで独占したい。

オレはオレんもんです。浮気はダメッ!



さぁ、ここで、まるっと意見を転調して、ブログの思考をまとめる作用、ツイッターのストレス解消な感じ(小出しに解消されたおかげで、作品にまで昇華されなかったアイデア、想念たちよ、ご愁傷様)に、お礼をいいたいっ、ありがとう! テクノロジー、ありがとう情報過多社会(あっ、なんか間違えちゃった)

考えること、やることが多いんだよな、現代人は。
昔みたいに、こけしを作り続けて、うん十年みたいなのは少ない。
その分ひとつひとつの活動の濃度が薄くなってるんじゃないか?

それとも、この時代は、やはり、多くのものを吸収し、判断し、処理しながら生きていく能力が必要なのか?
「昔はよかった」とか、「スピードが速すぎる」とかは言いたくないもんなぁ「情報量が多すぎる」は確かだと思うけど。難しい、難しくなかった時代はなかっただろうけど。


なんか、㈫とか㈬とかいこうと思って、投げやりな題名つけたんだけど、㈰が長すぎて、今日はやめますね。読みかけの「1984年」(ジョージ・オーウェル)が待ってるし。(しかし、この本は読後感想を書きたい、ものすごく面白い)

ではでは。知り合いも、知り合いじゃない人も、読んでくれてありがとうございました。
(ホントに思ってるか? 思ってません。 そもそも読んでいる人を想定していません。)

 

〜〜〜

人間の意識がテクノロジーによって変わる、というのは古い話で、事実でしかない。

 

このときはガラケーしか持っていなかったから、メールや電話以外で、ケータイの画面を見ることは稀だったが、今や夜道にスマホを見ながら歩行し、同じようにスマホ見ながら歩行しているチャンネーとかとぶつかりそうになったりしている。

 

もちろん、おれは変わった。Twitterももはや慣れない新道具どころか、人によっては骨董品扱いしてくる。たった9年で。だが、ディケイド。10年くらいで、社会ってかなり変わるんだなって、29でようやくわかった。80年代と90年代の違いも、70年と80年の違いも、60年代と……激しく変わってるもんね。

90年代と00年の違いは、自我が育ちきってないからわからないが、

00年代と10年代の違いは、何となくわかる。ゲームがめちゃくちゃ進化した。

(それは90年と00年代もそうだけど)

10年代と20年代の違いはまだ見えきってないけれど、きっとおぞましいものもすばらしいものも含めてもの凄いのだろうな。

 

もっと時事的なことを一杯日記やらブログやらに残しとかないと、それを計って楽しむことが出来そうにないなぁ。

 

(今気がついたけど、過去のおれが、「成長する」ことに重きを置いた結論を書きがちなのに対し、今のおれは楽しめるようになること、に重きを置いて、纏める傾向がある。それが善だと思っているかのように。楽しさにしても、成長にしても、それに繋がる行動が、いま、近い現在に出来ない限りは絵に描いた餅と言うか、虚しい締めにしかなんないと思うが、ブログを書くことで、成長はともかく、楽しめはするから、そういう意味では即物的と言うか、堅実になったんだなぁ(?)←ホントかよ)

 

あと、個人的な発見が、

1984年」を読んで面白いとおもっていたこと。

これは後に、豊崎由美とかの書評を読んで、

評価を下降修正していたために、僕はアレを、つまらない気味の小説だと思っていた。

だけど、読んだときは面白いと思っていたのだ。

 

批評の恐ろしさと言うか、単なる加齢による経験による変化か。