まわれアザラシ、棍棒よけて。

公演の宣伝用ブログ 兼 雑記

20歳③⑥

TITLE: 『どんとゆけ』&『珍しい凡人』

CATEGORY: 演劇 

DATE: 05/07/2011 23:02:06

BODY: 下北沢から帰宅なう。午後11時5分。
ああ、そういえば、ツイッターはじめました。

でもなんか慣れないんだよなぁ。
LIVE感がウリなんだろうけど、なにかしているときは、その何かに集中していたい。
ツイッターって、ブログみたいに、よしっ、ちょっと打つか。って感じじゃないもんね。
ついっポロッと出ちゃった、「アレなにか言いましたっけ?」 みたいな、会話がそのまま文字になる、もっと軽い感じだもんな。で、そんなもんが文字でずっと残るのはちょっと怖いなぁ。しかも、何万以上もの人のつぶやきがずっと残ってんだもんなぁ。本来流れていくものが、こびりついているみたいな。「それは文明ですか?」みたいな。まぁ、見えないものが見えるようになったから面白いのではあるんだけど。

まだ、その軽さが掴めてません。まぁ、使いこなせてないんだろうなぁ。感覚がわかればな、使用感が。

なんかカンケーない話。イミなく長くなっちゃった。ツイッター使わない分、ブログ人間になっちゃった? 頭の中の、整理をしたい。すこしでも文字化したい。イスに座って、コーヒーでも飲みながら、ラーメンでもすすりながら、文章を書きたい(まぁ、キーボードなんだけど)そんな感じです。

あと、ブログは日記なんだけど、ツイッターは日記って感じがしないのが、苦手なのかも。だって、このブログなんてさ、ほとんど読者いないんだから、「王さまの耳はロバ」の穴状態。気楽でいいなぁ。



下北沢に観劇に行きました。昼は渡辺源四郎商店の『どんとゆけ』、夜は、箱庭円舞曲の『珍しい凡人』です。

『どんとゆけ』は死刑員制度という架空の制度(殺人事件の犯人に対して、遺族によって処刑が行われる制度)を巡るお話。

あらすじ 青森津軽地方のとある家。家の持ち主は青島しの。そこで、彼女が獄中結婚した、ある殺人犯の処刑が行われる。被害者の遺族の手によって。

基本的に、一つの場面で、時間がほんの少し飛ぶところを除いて、ほぼ一幕構成。
ちょいちょい会話に入るギャグが若干不自然だけど、雰囲気が緩む分、シリアスのときと差異があって、波ができていた。

殺人事件の加害者と被害者の家族が、一対一で、同じ部屋にいるシーンとか、面白い(ついみてしまう)状況だ。

デッドマン・ウォーキング』とか、こういう死刑をめぐる話の場合、視点というか、描かれ方によってどっちに同情するかが変わる。けど、この芝居では、あえて(かな?)死刑囚がなぜ死刑に至ったかは一切描かれてないし、犯人の残虐なところもなかったので、死刑というものが、直接見やすかった。

殺すことには変わりない。と、ボクは思うけど。
もし、被害者の感情に当事者意識をもっていたら、どう思うかわからない。
死刑って感情の問題なのかもしれない。感情の問題が大事かは人によって違うし。

まぁ、そのへんはよくわからない。

でもボクがちょっと想像しちゃったのは、死刑囚のキモチだった。
この死刑員制度の決まりの中に、「死ぬ前に、好きなもの食べさせてあげる」とか、「ひとつだけ望みを叶えてあげる」とかある。それをこなして行くのが、芝居の中で、イベントとなっているのだけれど、死刑される人は、どんな心持で、好物のオムライスを食べ、遺族と一緒に、念願のトランプゲームをしていたのか。

本音かわからないけど、犯人はなんどもなんども、罪を悔いていることを説き、命乞いをする。

しかし、そのときが来た、二階に行くのだ。
二階には、遺族が準備してきたロープが梁に括られている、イスもある。

いざ二階に行かんとするとき、死刑囚は、足が萎えて立たない。

そのときのキモチを色々想像してしまった。俺ならこんなこといいそう、思いそうとか。

「首を吊るぐらいなら、いっそこの瞬間心臓とまれ、はやく、」とか、「首の骨って折れるのかな?」とか。
自分から死に行くっていうのが、いやだ。歯医者じゃないんだ、呼ばれて、上に行くともう帰って来れないんだ、とか。
目の前にいるコイツらからしたら、すぐに終わることで、その後も生きていくんだなぁ、とか。

そんなことを考えそうだなぁ、と思った。


(つづく、といって最近続かないのがよくないなぁ、と思う。) 

 

〜〜〜

もちろん続かない。

おそらく『珍しい凡人』の感想を書こうとしていたのだろうけど。

おそろしいことに、9年近くたっても『珍しい凡人』の断片をおれは覚えている。

出てた役者のこととか、来てた衣装のこととか、

その芝居が、確か、アーティストたらんとする人間の自意識の表出を扱っていたことも。

 

読書とかだったら絶対忘れているようなことを未だ覚えているのは、五感を使う分、体験に近いというか、芝居の強みを9年越しに身をもって証明してしまった形になる……。

 

まぁ、関係者の方々は、みんなもう、とっくに知ってるんだろうけど。