まわれアザラシ、棍棒よけて。

公演の宣伝用ブログ 兼 雑記

20歳③③

TITLE: 島崎藤村って両方苗字みたいだよね。

日常生活

 04/29/2011 14:49:27 

BODY: 多岐祐介の「エンターテイメント文学論」を受けた。授業というか、LIVE。
文芸学科の授業だが、噂が噂を呼び、他学科からの受講生が後を絶たない。

文芸学科のカリスマ講師はフーテンの寅さんみたいな格好、ひしゃげた帽子とよれよれのコート。杖をつきながら、教壇にあがる。そして、よく響く美声の持ち主だ。

「単位なんて欲しけりゃやるよ、んなもん。でも単位のために大学来てんじゃねぇーだろ? そんなやつはいますぐ、商学部でもいきなっ!」

「親に勉強しろっていわれて、はぁいと素直に返事して、ドアをバタン、
ホントにノートを取り出して、まじめに一生懸命なに書いてんかと思ったら、詩ぃ書いてんだよ。そんなやつのなれの果てばっかなんだろこの教室は。」

ホントにこんな喋りかた。

「ノートなんかとるんじゃねぇーぞ! どーせ全部雑談なんだから。教室でるときには全て忘れちゃっていいんだよ。一字一句写す、いるよなー速記者みたいなやつ。そんなことにエネルギーを使うな。」
 
「授業はさ、先生の話にあるんじゃないっ、教科書の中にあるんじゃない、それは君達の胸の中で起こっている。君らの胸の中から、ポンポンポンポンでてくるフキダシの中にある」

「お勉強と勉強は違うんだよ! 大学では遊べ、なにをしてもいいんだよ、飲みもん? 飲んでいいに決まってるじゃねーか、せんべいは微妙な線だな。勉強は自分のためだから、自分の範囲(他人に迷惑をかけない)なら何をしてもいいんだよ。そこがお勉強とは、違うんだ。」

「モグリのすすめだ。どんどんモグれ、他大学でも、なんでもいい。ちゃんと頭を下げて頼めば、断る先生なんていない。怒るのは、事務方だけ。学生はなにやってもいいんだ、その権利がある。」

「作家になりたかったら! 口を閉じなさい。考える人間の口は常に閉じている。」

「電車の中で、ケータイいじるな。乗り物の中には、無防備な姿をさらしている人間がうじゃうじゃいる。やつらタダで観察させてくれんだぜ? 美術学科なら、スケッチするだろ。観察される側に回るな。そんなヤツは一生作家になれねーよ。」

「つぎは、坪内逍遥の『小説真髄』から島崎藤村の『春』について、あ? エンターテイメント文学論じゃないかって? 大丈夫。全部キチンとエンターテイメントにしてやるからよぉ!」


---文学について。ロマン主義と古典主義。

「なにを書くか? 自分のこと、自分の思っていることに決まっている。じゃ、自分ってなんだ?」
「自分で自分はわからない。それに、同時代の影響、必ずバイアスがかかっている。同時代の人はわからない。」
「過去を見ろ。過去はわかる。どんな時代の影響があって、どんな小説が、どんな表現で、できたか。」

文学史? こまかくやるから、つまんねーんだ。できるだけ、おおづかみに、ゆるく、名前なんてどうでもいいんだ。」 

「(島崎)藤村の兄貴分に、北村透谷っていう秀才がいたんだ。芥川でも、若い頃には、歳相応の青さっていうか、そういうのがあるんだけど、この透谷の文章には、はじめから青さ以外にも鋭さっていうか、透徹した視点だとか、そういうもののある、いい文学者だったんだけど、25歳で自殺しちゃう。」

「藤村の『春』のなかにも、主人公の兄貴分がでてきて、非常に秀才で、グループのまとめ役。だけど、自殺しちゃう。主人公の男(藤村自身がモデル)は、これがまた、野暮ったくて、鈍くて、どうしようもない男なんだけど、これが、兄貴分の死にショックを受けちゃう。で、この小説の最後は、この主人公が、乗っている夜汽車の窓に映る自分の姿をみて、こう思うところで終わる。」

「ああ、自分のようなものでも、どうにかして生きたい。」

藤村はね、ずっと売れなくて、貧乏暮らしして、女房は栄養失調で鳥目になる。そこで、働きゃいいものを、なにをするかっつったらね、小説を書いてんだよ。赤ん坊を3人殺して、「破戒」を出したんだ。鬼だよ、コイツは。

透谷のがずっと早くから脚光を浴びてたのに、自殺しちゃった。繊細だったんだね。藤村の方が生命力があったんだ。

まぁ、でも、これがね、ロマン主義なんだよ。ロマン主義ってのは、この「ああ、自分のようなものでも、なんとかして生きたい」主義。



つづくのだ。ちなみに、ICレコーダーとか使ってないので、かなりボクの妄想が入っている。多岐さんが実際に言ったこととは似て非なるものです。

 

〜〜〜

懐かしい。

まさに授業=エンターテイメントだった。

わかりやすい。面白い。

強引。牽強付会

胴間声。早稲田色。

 

とても記憶に残る。

 

多岐先生は演劇学科の実習(学内の公演)をよく観に来てくれた人だった。