20歳③②
TITLE: 劇作実習(川村毅)
CATEGORY: 演劇
DATE: 04/27/2011 17:22:02 -----
BODY: 劇作コース一年の目玉の授業の二つ。劇作実習㈵と㈼。それぞれ講師は川村毅と高橋いさをだ。
(川村毅)
一回目。いきなり、色々書かされた。そして、知識的な話。
ドラマとポストドラマ。
ドラマ……筋のある物語。具象的。
ポストドラマ……ドラマに対する懐疑から出発。ドラマの解体。抽象的。
たとえば、シェークスピアの『ハムレット』はドラマで、
ハイナーミュラーの『ハムレットマシーン』(必読らしい)はポストドラマだ。
もともとは、演出の用語で、ドラマの戯曲を、ポストドラマ的に演出する、という風に使える。
どちらが主流かというのが、国によって違う。日本では、チェルフィッチュだとか、最近ポストドラマ的なものもチラホラ出てきたけど、やっぱり主流はドラマ。これが、ヨーロッパ、たとえば、ドイツやフランスになると、ポストドラマ的なものが人気らしい。逆に、アメリカやイギリスでも主流はドラマ。ブロードウェイやオフロードウェイがあるので納得。ある意味その辺は、最も保守的な演劇かもしれない。
確実に金になるのはドラマ、芸術度が高いのはポストドラマといえる。異論はあるかもしれないけど。ボクは納得できる。
それはともかく、川村さんは、一年生にはドラマのことを教えろ、といわれているらしい。「だから、こんなことを教えたら上に怒られるかもしれないけどね」といいつつ教えてくれた、川村さんお薦めのポストドラマの作家。
ハイナー・ミュラー
ジャンマリー・コルテス
イエリスク
ルース・ボルシェ
やはりドイツ人とフランス人ばかり。
あと、必ず押さえといてほしい作家。
チェーホフ(心理劇)
ブレヒト(政治劇)
ベケット(不条理劇)
ピランデッロ(メタシアター)
演劇史の巨人達。それぞれ()の分野の先駆者たち。もちろんキレイに分かれているわけではないけど。
とりあえず、あんまり知らないピランデッロを読もうと思う。
他の作家も熟読したい。読み飛ばすのではなく、しっかり味わいたい。
二回目の授業。
川村さんの次の舞台、『豚小屋』の稽古場を見学させてもらった。
タバコのけむりがモクモク。緊張感のある稽古場だった。
あとは、役者役者、役者っ!
稽古3日目にして、もう役のようだ。セリフが殆んど入っている役者もいた。
いちいち細かく、ダメだしをする必要がないっ。あらためて、「役者」の偉大さを思い知った。
〜〜〜
この文章には異論がある。
作品の感想ではないから。
ただ、過去の自分とは言え、他人(しかも文章と言う肉体を持たず反論できないものに対して)の発言に、難癖つけて悦に入るというのは、まずいことんじゃないか、と思わなくもないが、おれはそういうまずいことが嫌いじゃない困った人間なのだ。
ま、他人と言うか、自分だしね。自問自答というか、それ、ただの思考だ。
「稽古3日目にして、もう役のようだ。セリフが殆んど入っている役者もいた。
いちいち細かく、ダメだしをする必要がないっ。あらためて、「役者」の偉大さを思い知った。」
という文章はダサい。
役のようだ。というのは気になる。
役に入りきっているとか、
役が掴めてない
とか、
役に合わないとか、
役と真逆のことをしてみると意外性があっていい
とか、
便利な言葉で、色々使い出があるけれど、
「3日目にしてもう役のようだ」
というのはたぶん、そういう定型文をどこかでGETしてそのまま使ったのだろう。
たぶん、戯曲を事前に貰い、芝居を観て、僕が想定した「役」の性質や面白さを、観客に届ける、手塚とおる(役者)の手腕にたいする賞賛掛かった説明なのだろうが、何もいっていないに等しい。
「いちいち細かくダメ出しをする必要もない」という言葉も、
たぶん、イチイチ細かくダメだしする稽古場が自分の経験に濃くあったためで、
イチイチ細かくダメだしする必要がない、ことは、普通だ。自分が勝手に想定したダメな状況になっていないことに褒める、というのは、やはり視野がせまい、という感じがする。
「とりあえず、あんまり知らないピランデッロを読もうと思う。
他の作家も熟読したい。読み飛ばすのではなく、しっかり味わいたい。」
という言葉の後半「しっかり味わいたい」みたいな、なんとなく、前向きな言葉で文章を締めると言うのが、そのときの流儀だったんだろうなと思う。
あらためて、「役者」の偉大さを思い知った。
とか。
こういう前向き纏め癖は、きっと今も僕にはあって、その流儀が理解できない人に不快感を与えているんだろうと思う。
自分で言った言葉だけど「前向き纏め癖」って、ざっくりしすぎた言葉だな。
前向きであることは、そんなに悪くないと思うから、
「中身のないまとめ癖」とでも言うほうがいいか。