まわれアザラシ、棍棒よけて。

公演の宣伝用ブログ 兼 雑記

21歳③⑥

TITLE: 砂地「貯水池」

DATE: 05/21/2012 03:28:19

 

神永演習を受け、やはり見た芝居については書かねばならぬと反省した。
反省は遅すぎることはない、いや、ある。
あるけど、やっぱり遅くてもした方がことはあるんだよ。
「いまさらもう、反省したって」って姿勢は映画や漫画の悪役のあがき方みたいだ。
素直に悔い改めよう。

味気ないが、Wordの日記から、砂地の感想。

2012 5/12
劇団砂地「貯水池」inスペース雑遊
作・演 船岩裕太(27歳!)

舞台図を書きたいが、小さなノートを持っていないので断念。
対面形式、客席に挟まれた演技空間。どちら側にも効果的な演出。
ソファ、バスタブが対面に置かれており、効果的に使う。セットは省略、壁はない。
テーブル、ベッド、パスタブ、イス、が、様々な場所のソレに変わる。途中で、白幕が一枚降り、撮影所になる。場転の時間はほぼ0、イキウメ型。ただし着替えを除く。着替えはきわどいブラジャー姿とかを見せつつ着替える。鐘下式。

(あらすじ)
群像劇と言えるのかもしれない。
父親と折り合いがわるく、(父は母をいじめて、不幸にした)自分は誰にも迷惑をかけない、無害で、無色透明な存在でありたいと願うA。
その友人で、売れない劇作家兼演出家をしているB、童貞、色んな女とやろうとするがやれない、それはおそらく思弁的な彼の理想通りにいかないからだ、自分も、他人も。 勉強家、人生に不真面目に慣れない、真実を探しているところは、2人共に共通する。

Aの父親は死んだあとも、亡霊というか、彼の中の記憶として、喋りかけてくる。母が死んだ時、父は「俺の人生に、後悔はない!」とのたまった。しかし、本当にそうだったのか?
死んだ父は生きているAに父の再解釈を促す。

Bは写真屋の40女のカメラマンとやろうとし、30代の知り合いの女とやろうとし、20代の自分の芝居の役者とやろうとし、失敗する。
というか、20,30代に対してはやること自体はできそうなのに、自分で拒む。
セックスとか、いろいろあるけれど、プラトンの「饗宴」のごとく、引き裂かれた半身を求めて、醜い自分の片割れ、美しい半身を求めて、悶える。

Aの彼女Cは、Aの前の恋人とも別れ、Aとできちゃった結婚をするが、子供が流れたのち、Aと別れ、四大文明ゆかりの地を巡る旅に出る。軍資金が付きたら東京でバイトし、再び旅に出る。流れ続ける限りは生きられる、一箇所にとどまること、落ち着くこと、家を作り、住むことがわからない、どうしたらいいかわからない、求めつつもわからない、人との関係の築き方、わが子とのソレは構築する前に崩れ(流れ)てしまった。

父親の亡霊は、あくまで亡霊だけど、じつは、「自分の人生に後悔していた」、と悔恨する。
しかし、続けて、「俺は自分はいい父親だと思っている」A「なにを!」
「なぜなら、俺は俺の父親よりいい父親だったからだ」と、のたまう。

Aは、Cと付き合い始めた頃、我が子を虐待して殺し、自らも餓死しようとした女、Dに接触する。AはDにシンパシーを感じ、DもまたAに惹かれる。

Aは父との確執に一つの結論を見出し、ずっと迷っていた結婚を決意し、Cと結ばれる、
Dにそれを告白し、まだなんの関係も始まってなかった二人だが、お互い「幸せになってください」と祈る。
Bは自分の人生に対して、一つの目的を見出し、「子供は作れるやつが作ればいい、だからA、お前は、バンバン子供を作れ、俺はその子のために戯曲を書く!」と宣言する。
そして結ばれた二人は、カタストロフに向かっていく。

(感想)
ラヴストーリーなのだが、決して甘くもないし、うまくいかないし、ただのエピソードではなく、うまい生き方が見つからず、苦しみを抱えつつ生きる人を描いている。

AとCが結婚し、Cのお腹の子供をさすりながら、Aが「招待状を送ったようなものなんだ、招待したからには精一杯歓迎するさ、この世界に馴染むまで、一人で立てるようになるまで、」というようなセリフで終わらせず、悲劇でもあり喜劇でもある、流産→離婚→それでもインダス川からAに手紙を送らざる得ないCのリアル、まで描くところがステキ。

肉感的な女の子の立ち振る舞い、性欲とか生理をなまなましく、露骨に、再現する演出、音楽、照明、みず、バスタブ、いたるところに鐘下辰男を感じた。なに一つ悪いことではないけど。鐘下さんの芝居と同じく、今の時代とはまた違う時代の光景を見ているような感覚を覚えた。登場人物が熱い。思想や、人類の進歩、個人の進歩、文学や学問に対する信奉、男と女、テーマを感じた。骨太と言えるんじゃないか。
登場人物をそう簡単に幸せにしないぞ、都合のいい展開、カタルシスなんてくそくらえ、本当のカタルシス(どういう境地だ?)とは苦しみと悲しみの果てにあるのだよ、という考えが「私は無より、悲しみを選ぼう」というセリフに現れている。

僕は一時期ずっと、「人生は基本的に苦しいものだ」と思っていて、あぁ今も基本的にそう思っているのだけれど、仏教か? われ。だからシンパシー感じるなぁ、この芝居。
多分に説教臭がするけど、たぶん作者には自覚があるから、定期的に抜けを作っている「なんちゃって、みたいなアレ、「あんたってホントにキザよね」とか、あと人物造形。価値観の違う人間を闘わせる、結構まっとうに闘わせている。ドラマツルギーって対立が多いよね。基本よね。皆のセリフが一人(作者)の口から出ている感はすごいけど、集団創作でもない限り、まぁ実際そうだからなぁ、でも声はもっとたくさん欲しい。ポリフィニー! ドストエフスキーとか好きそうだ作者は。しらんけど

 

〜〜〜

砂地。懐かしい。

あと、この↑感想読んで、最近、新劇みてねぇなぁ〜。と思った。