まわれアザラシ、棍棒よけて。

公演の宣伝用ブログ 兼 雑記

22歳②⑦

TITLE: ささささ、肩がサクサク喉ガサガサ
DATE: 03/22/2013 22:43:54

ささささ、さん。花粉でもうぴりんぴりんする、目が、鼻の周りが、喉の奥の上の、鼻と口の間が、痒い。
じゅくじゅくじゅくじゅくする。

ブログ恥ずかしい、なんつってもしょむないけど、恥ずかしい。
つーかも恥ずかしいことばっか言って呼吸するがごとく恥ずかしくて、もう呼吸困難じゃん花粉症だし。呼吸をする如くに恥を撒き散らしている気がしたり、平気な顔で電車に座っていたり、くしゃみして死んだり、鼻の周りが痒い。

凹んで、凹んでいることを人に伝えたかったり、いかに自分が頑張ろうとしたか、それが空回りであったか、何を悟ったか、何を経て回復したか、とうとうとうとうと語り続けたいと思ったりもするけれども、

でも自分が人やったら、他人のプライド回復のためのしょーもない話をえんえんえん聞かされたくはないし、そんなこと喋ってるギリギリ人間の表情もそんなに見たくもないなぁ、そんなに、と思ったり思ったりしたのでした。

ブログは日記よりゲーム感覚で楽しい。
でもブログよりさらにうざいであろうようなことも日々僕はしゃんしゃん考えてるから、それはそれでほんまは日記に書くべきであって、ほんまにしゃらくさいなぁ。

今日電車で考えた悩み事も、バイトに行くために棚上げしているうちに霧散してしまった印象があって、残念です。

いつか常夏のビーチで、ソーダ水とか飲みながら、自分の悩みについてゆっくり考えてみたい。その日まで凍結させておいた悩みをゆっくりしっかり味わう時間は、天国のような環境であってほしい、

悩みはしっかり味わってみたいけれど、ほんまに苦しいのは苦しいから苦しい。いやだ。


なんかいろいろ書きましたが、
色々あって、今日はそこそこ平安な日でした。

お疲れ様です。

パルプ・フィクションのDVDがうちにあるので(950円!)それ見て、寝よ。明日もバイト!

〜〜〜
時間をかけて考えた方がいいことはたくさんある。 だけど、いつか、なんてそんな日は永遠に来ないから。 すぐ考えるか(仕事終わったら、とか、次の休日に、とか)それでムリそうなら、考える時間を作ることをできるだけ速やかにした方がいいよね。と思いました。
別にそんな必要のない悩みなら放置しとけば良いけど。

〜〜〜〜
↑元記事を読み返して、別にこれ何か具体的に悩んでるわけじゃなくて、表現上のバカンスの肴としての悩み、贅沢な思考事。という感じがした。だからソーダ水とかパラソルとか(とは書いてないけど、常夏ビーチでパラソルで、果物の刺さった飲み物のイメージであろう。)の小道具が出てくるし。「いつか」っていう文学的な(来ない)日の話をしているのだろう。
ようするに上に書いたことは的を外している。真面目で固い阿呆さが出ている文だ。

〜〜〜〜
それにしてもこのときバイトをしていたのか。
在学中に働いていたことはよく忘れている。イベント系の派遣会社と、大きい公民館的施設でバイトしたが頻度も少なく申し訳程度だった。

高校のとき、親と恩師の、アルバイトに対する考え方が真逆だったのを思い出す。片方は「バイトなんかするな、バイトというのは時間を切り売りすることだ。そこで得られる端金にはお前の時間ほどの価値はない」というもので、片方は「バイトはしたほうが良い。社会に出たときに生きていく力が付くから」というものだった。どっちがどっちを言ったかは覚えているがここには書かない。どちらの意見も分る。お金があるならしないに越したことはないかもしれない。でも、一方で、早くから働いてきた人のたくましさとか頼もしさのようなものを、今やかつての職で感じ、「僕ももっと早くから色んなアルバイトしたらよかったのかもしれないなぁ。」なんて思うこともあった。いやでも、まず勉強しとけよ、学校行かせてもらってんならさぁ、というのが、正論か。
話は逸れ続けるが、うちはあまり勉強を強制されない家庭だった。あまりというか、かなりかもしれない。「勉強なんてできなくったっていい」と建前的な言葉を頂いたこともあるし。「そのうちやると思って放置してた」という話も聞いた(これは成功率、4分の3くらい。僕以外の兄弟は皆勉強してた気がする。高校も勉強できるとこ行ったし)あと、ゲームとかいくらやっても何も言われなかった。自分の部屋があったのが大きいのかもしれないが。相当放任だった。

何が言いたいかと言うと、バイトのことも勉強のことも私の人格形成に相当の影響を与え、そして、それはもう取り返しがつかないということだ。まあ、取り返さなくてもいいかなと思っているが。過去はともかく「続きからはじめる」しかない。

また恩師と親の意見の相違でもう一つ印象的な話がある。こちらは「自尊心」の問題だ。片方は「自尊心は高いほうが良い」と言い、片方は「自尊心は低いほうが良い」と言った。これはおそらく、それぞれの自尊心の定義によるものだと思う。だからどちらが正しい、というような結論は出ない。自尊心という言葉をプライドに置き換えてもそう。「プライドは低いほうが良い」「プライドは高いほうが良い」どちらにせよ、多義的だ。シチュエーションによって180°印象が変わる。例えば台詞に置き換えれば

「(何か卑怯なことをしようとしたときに)プライドを持てよ!」 「(何か頑になっているときに)なんなのそのプライドは?」

この問いも状況によって様々だが、結局、僕は「卑屈な割にプライドが高い」というツッコミを初めの上司から頂いた。なかなか鋭い。そして、プライドの高さ故に、その仕事を辞めて、演劇をしようとしたりなんかしちゃったり。