まわれアザラシ、棍棒よけて。

公演の宣伝用ブログ 兼 雑記

20歳②④

TITLE: 所沢の朝はさわやかです。 DATE: 04/05/2011 21:28:57 ----- BODY: 所沢はじつにド田舎さわやかな所だ。
実家に帰ったとき、つい、「地元に帰りたい」と言ってしまったほど馴染んでいた相模原より、さらに田舎臭がつよい。駅前に住んでいたということもあるのだろうけど、たぶん、それだけじゃないはずだ。

8時に起きて、外に出る。朝日がまぶしい。さわやかだ。
僕が住んでいるところは住宅地。一件家が多い。
壁は白くて、だいたい植物をかっている。
庭付き、小人付き。ピアノ教室とかもある。
表札が可愛いアルファベットの家まである。

ピアノ教室とかもある。
犬の散歩をしている奴もいる。

めまいがするほどさわやかだ。吐き気を覚えて、家に帰ろうとしたら、なんと、女子中学生の集団とすれ違った。
なぜか全員青いジャージで、髪はとうぜん黒。美人もブサイクもそろって健康そう。きっと運動部かなんかだろう。とにかく、さわやかだ。なぜかみんな笑っている。ボクを笑っているのじゃないかと不安になる。集団でラリっているだけならいいけど。

こんな環境で、まともな創作かつどうができるか心配だ。毒気がなくなってしまう。だから日大生はミュージカルにはしるのだろうか。うたをうたうのだろうか。おどるのか。

「ずっと住みたいなぁ、所沢には」
なんてセリフが飛び出しかねないほど、キレイな家がいっぱい並んでいる。
軽やかに自転車をこぐサラリーマンたちを見て、僕もいつか、この中の一人となって、このさわやかな風景をカタチづくる、さわやかな男の一人になるのだ、と思いかねない。

かまってちゃんの楽曲「さわやかな朝」がこれほど沁みる朝はない。しかし、すぐ慣れるのだろう、このさわやかさに。


〜〜〜 当時の日大の芸術学部は、1、2年次は所沢キャンパス、3、4年次は江古田キャンパスという風に別れていた。(2018年に江古田に統合)東京寄りの神奈川である淵野辺から、東京寄りの埼玉である所沢に引っ越した。神奈川を離れて埼玉に行くのは、なんとなく心細く、初めのうちはちょくちょく古巣である町田に言って、馴染みのコーヒー屋で豆買ったり、必ず同じつけ麺屋に寄ったり、町田からすぐの、BOOKOFF発祥の地である古淵にある向かい合わせに二軒立っているBOOKOFFに寄ったりもしていた。

しかし所沢に2年間住んで、引っ越しすることになったときも、「やっとこの田舎を出れるぜ」「おいらもようやく都民か、やれやれ」みたいな心境で、湿っぽい気持ちは一切なかった。 桜美林時代に住んでいた淵野辺(相模原)とその隣の町田には、好きな珈琲屋、好きな服屋、好きな図書館があったのに、所沢に対する愛着は終始、薄かった。田舎生まれなのに。 さらに言うと、日大所沢校舎自体もてんで気に入らなかった。

しかし、所沢校舎でしか開講されない語学の必修授業を落としたため、都民になっても週に1度はかならず埼玉に出向かなければならないのだった……! 知らない下級生と同じ学バスに切符代払って乗らなくてはならなかったのだ……!

 

↓↓所沢のつぎは、所沢校舎の第一印象

 

TITLE: 入学前見学 DATE: 04/06/2011 14:34:11 ----- BODY: チャリ通学の道を覚えるためにも、一度、所沢校舎に行ってみた。
思ったより人がいない。警備員の門がある。学生のフリして素通りをした。
門はやだなぁ、桜美林は方針として、門をおいていなかったけど、あれは開放感があった。学外の変な人が入らないためなんだろうけど、変人が入ってこその芸術学部だろ、って感じもする。しかし、中央大で教員が殺された事件とかもあったからなぁ。

他にも、門限(大学から出ないといけない時間)が桜美林に比べると、大幅に早かったり、不満はたくさんあった。
とくにショックだったのは、所沢校舎唯一の劇場空間、オープンステージ式のブラックボックスが授業以外では使えないこと。過去に生徒が使用してアクシデントがあったらしく、それ以来、授業でしか使えないらしい。

それを聞いたのは、演劇学科棟をふらふらしているボクを、呼びとめたおじちゃん。
その、ブラックボックスの管理人らしい。
「生徒が管理を手伝うということはあるんですか?」と聞くと、
「いや、ない。できるできるという生徒もいるけど、実際できはしないからね」という。

管理組織がすべて学生で構成され、教員はほとんど関わらない桜美林との違いにショックを受ける。

桜美林では、事故が起こらないように、仕込みやバラシに立ちあい見張る小屋番も学生がする。というか、僕もしたことある。学内の小屋は年中、使われ、機材も貸し出し、貸し出した数を報告し、確認し、全て生徒がやる。平田オリザがやりたいように、システムを構築した結果だ。そして、桜美林の学内の劇場では、年中公演が打たれている。

こういうことは少なくとも、同級の学生の前では絶対言わないようにしよう。だって、一番むかつくタイプじゃん。「前の学校ではこうで、ああで、」ていうのは。スポンジのように与えられたものを吸収しよう。余計な思い入れで邪魔したらダメだ。

でも、違う環境を知っているのは、わりとアドバンテージだと思う。だって、それが普通、とか思ったかもしれない。普通っていうのはない。しかし、これから日大のシステムをよく知ることだと思う。外小屋で早く打つことが、いい経験になるのかもしれない。門限については、運動とかしたら延びないかなぁ。ただの稽古場って貴重だ。


・夕方になり文芸学科棟をうろついていると、おばさんに声をかけられた、よほど挙動が不審なんだろう。特に目的がなくて、ふらふらしているからだと思う。

「新入生です」というと、「何学科?」と聞かれたので、
「文芸学科です」といった。ときどき呼吸をするように嘘をついてしまう。

そう言うと、おばさんは急に打ち解けて、演劇学科のときの管理人のおじちゃんと同じように、今閉めたばかりの施設を開けて、わざわざ案内してくれた。文芸資料室だ。

ボクはこのとき、他の学科もこの手で行こうと思った。

資料室はもう一つの図書館のようなもので、江古田にはもっと大きいのがあるという。とくに江古田はマンガのコレクションがすごいらしい。
しかし、僕が見た資料室はかなり文芸文芸していて、歌舞伎の台本とかあった。古い音楽雑誌とかもあった。
古雑誌は文芸学科にも人気があるらしい。たしかに手に入れにくい。

他学科も使えるので、けっこう演劇学科の連中もたまるらしい。
たしかにそんなにおいがする。文芸のやつらとは仲良くなれそうだ。

おばさんは、高校の時の司書の先生みたいな、いい感じがした。
ボクが「門限、短いですよねぇ」というと、「ホントにねぇ」と言ってくれた。

もっとマジメに本を読もうと思った。

帰りに、文芸学科の連中がたくさん出している本(日本大学芸術学部文芸学科出版の本、わりと本格的な見た目)をいくつか持って帰った。

家に帰ってからいくつか読んだけど、大半がくだらない。やっぱり、お友達になるのはよく考えようと思った。

 

〜〜〜

日大芸術学部には8つの学科があって、「8つのハート、8つのアート」みたいな未だ何を言っているのか解けない謎みたいな標語を目にしたことがあるが、ともかく、8つあるのは本統だ(←志賀直哉風の漢字遣い)

そこがあの学校の一番いいところであったが、実際に、入学した身として、8つある世界すべてを存分に味わえるかと言うと、全然そんなことはない。

いや、誰も、道を塞いだりはあんまりしていないのだが、自主性が試され、結局、多くの学生は、個人的に、心理的に距離が近い学科が1つ、2つある、くらいじゃないかと、適当なことを思う。ちなみにおれは他学科の友達は一人もいなかったが、そもそも演劇学科にもあんまり友達はいなかったから、やっぱり、人間性がすべてと言うか、環境を活かすも殺すも……

ともかく、僕にとって、心理的にいちばん距離が近かった学科が文藝学科だ。

劇作コースだし。文筆。

 

さて、文藝学科は雰囲気がもう全体的に図書室っぽい。図書館というよりも図書室という方がしっくりくる。 実際司書を目指す人もいる。 編集者を目指す人はもいる。 小説家を目指す人は? もちろん、いる。 小説だけではなく、短歌や詩、俳句にいく人もいる。 漫画にいく人もいる。 脚本も、 翻訳家も、 バンドも、 役者も、 映画作家も、 写真家も、 たぶん、いる。 普通の文学部みたいに文藝研究にいく人もいる。 学科内には主流(メジャー)と傍流(マイナー)があろうが、大きなくくりとしてはかつて(いまも?)図書室に入り浸っていたやつらの牙城だ。 文藝資料館という専用のいい感じの図書室の前には、机とイスがパラパラと配置されていて、授業間や放課後には、文弱の徒がたむろし、通常の社会では隅に追いやられそうなやつら(失礼!)が侃々諤々と、政治的な議論や意味のないやりとりをしたりして、モラトリアムをつまみに出来上がっている。 同人誌を書いているようなやつら、と日常社会で言えば、何かの偏見がかったレッテルばりをしているようだが、サロンにたむろってるやつら(文藝学科)の殆どは本当に同人誌を作っている。授業やゼミで。 記事に書いた通り、入学当初は本当に日大が気に入らなかった。 でも結局、学年が上がっても気に入らなかったし、卒業しても気に入らなかったり、結局ことあるごとに僕は「桜美林では〜」つってた。今も言ってる。

(いや、言う相手がいないから実際は言っていないけど、言う相手がいれば(桜美林に縁のあった人とか)たぶん即言う。おいおい、おっさん、 そいつはヤバくないか、大学を卒業してもう何年だ?  3年。26になる年に卒業して、まだ3年。 計7年間大学にいたせいか、大学というものを随分引きづる人生だ)

 

結局言いたかったのは、日大で一番良かったのは他学科の存在であった、という、それだけの話なのだが、そして気づいてみれば桜美林ではそもそもおれが演劇学科ではない他学科として演劇学科とどっぷり絡み、演劇学科以外にも他学科はいっぱいあったし、そもそも社会に出たら、学科どころか、学歴も、就業歴も、生まれた西暦も元号もみんな違うし、……これ以上、話すことは特にないぞ。ないまま、行き先不明の話は転がっていくが、 上に書いた文藝学科の様相は、随分楽しそうじゃありませんこと? (僕のような文弱なやつらには堪らないはずだ。) 普通ならなかなか手に入らない、図書館趣味と、同好の仲間という条件が揃っているのだから、さらには文弱の徒の大先輩、研鑽を積んだ方々から講義が受けられる。色んな学科があるけれど、文藝の先生方は今思い出しても結構ヤバい。 黒魔術についての講義、歌人の先生による寺山修司のお見舞いにいったときに、病床で話したこと。「それでもわたしはキリストが……」と言いよどんだまま、黙り込む50代。「お前の仕事場がお前の教会だ……!」 初めて正社員で就職した会社にいたときに抱いた大きな感慨とは「ここでは何もかも大学と逆だ」というものだった。金を払うか貰うかも含めて。 経験。という意味で、この記事に書いてある通り、違う環境にいたことがあるというのは面白い。そこで自明のこととなっていることの良くなさに気がつく。 しかし、それにしても社会と大学は違うし、社会と芸術は違うし、大人と子供も違うような気がしているが、じつは違わないのか。色んな環境が点在しているだけなのか?

学歴だ、とか、なんだとか言う前に、そもそも事実として違う経験をしているのだ、皆。