まわれアザラシ、棍棒よけて。

公演の宣伝用ブログ 兼 雑記

22歳⑲

TITLE: 繊維街 CATEGORY: 演劇  DATE: 03/11/2013 00:41:47 日記を書くのは忘れたくないからである。
完全記憶を持って生まれたかったです。

若手演出家コンクールを観劇した。

四作品すべてだ。最終審査会も。
とても勉強になった。ファミレスでうんうん唸った。

なんとなく考えていたことに近かったことに、はっとした。
ほかの審査員がしゃべっている時にうんうん言っている人も自分の考えていることに近いなと、(勝手に)思ったとき頷くのだろう。誰もが自分を基準に考えるから、おれにとって都合のいい意見がいい意見に見えて仕方ない。

ストーリーとドラマの違い。
ストーリーのための時間はいらない。
物語に終りをつけるための展開とか。回収している時間のつまらなさ。

役者のなかに落ちてないと面白くない。
見ているうちにコイツがどんな人なのってことが知りたい(流山児)

肉体と言葉がばらばら。

嫌な人と仕事をしなさい。
高揚に水をさしてくれる人と。
自分の作った綺麗なシーンがずっとつづく、螺旋でもなく、上がりもせず下がりもせず。
役者どうしがぶつかったりしたらいいのに(物理的に)

「遡行」を読んでから、異化と高揚のことが気になってる。
誰もがその二つをもっている。配分は違えど。

高揚するには階段を用意しなくてはいけない。ステップを踏む。
水を差すやつも、舞台上に必要だ。

舞台上には作者の分身ではないものがいるべき。
一件分身のようでも、作者はさらに後ろにいる。新しい後ろを作る。増殖人間。
自分の分身を舞台にのせるためには、自分は一歩下がらなくては。


「不条理」という英語は、「バカバカしい」「くだらない」「無価値」という意味を含んでいる。翻訳の過程でそれを忘れた日本の不条理劇はたいていビックリするほどつまらんないそうだ。


〜〜〜〜〜 演劇の話だ。そして正論だ。 うなずけるけど、別に面白くない。 だって、正論だから。 論より、作品の方が面白かったりする。正論に関するものは。 正論より、個人的な話が面白いことが多い、 (作品はさておき) でも、たくさん正論を聞いて、自分でも復唱して勉強することは悪いことじゃない。端から見てつまらなくても、えらいと思う。 別にそこは面白くある必要は無いし。 継続するかしないかとかがさらなるえらさを決める。 この「えらさ」は社会的地位とか権威とかではなく、がんばっているひとやものへの「えらい」だ。