まわれアザラシ、棍棒よけて。

公演の宣伝用ブログ 兼 雑記

22歳⑪

TITLE: みんなが言ってることにようやく気がつく

DATE: 10/07/2012 13:53:09

 

ビートルズの曲の歌詞は、けっこう暗い。
でも読むの面白い。
町田康の小説は笑える。

夜なかなか寝つけないのは、落ち着きが足りないからだ。
寝るときはもう他に何もしないんだから、寝たらいいのだ、安らかに。

散歩しても何もない。
部屋を片付けて牛乳パックを近所のスーパーの回収コーナーに放り込む。

ツイッターは使いたかったら使えばいい。

だいたいのことはメリットデメリットがある、
デメリットに気づいたらそこにのみ気をつければいい。

はずなのになぁ。




記事を書きたくない、意欲がない。とんでもなく暗い。
でも、暗いものを暗いまま出すのは芸がないでしょう?
だからこの記事は御蔵入り。

書かないとなにも面白くない。おもしろさの可能性すら見当たらない。だから書く、喘ぎながら。

「書く事は呼吸といっしょだからいつだってただただ呼吸困難だった」
みたいな短歌が、枡野浩一で。

吐き気がする。

たりないのは読書量。
椅子に座ること。
辛抱強く、考えること。
ただただ言葉をぶつけること。

今のままでは演出コースの一年よりも(失礼だけど)面白くない。

何が一日の長だよ。そんなまっとう自負感じたことない。実力も。

 

〜〜〜

今は昔よりよく寝つける。働いているから。

ぜん息になったし、慢性の消化器不調から、お腹と背中が痛いけど、それでもすぐ寝てしまう。

昨日は翌日が休みなのに、よる11時半には寝た。眠かったから。

起きたのは8時過ぎだ。まだとても眠かった。9時間近く寝ても眠い。

ちなみに、一昨日も12時くらいに寝た。

良く寝つけるというか、何事から逃れるように寝ている。

足りないのは読書量、 イスに座っていること、 辛抱強く、考えること。

そう思う?

あまり思わない。

眠いから寝てしまう。

読書量が足りないとは思わない。

量なんてどうでもいい。

ただ、あの小説とあの小説と、あの小説を読みたいと思っているのだけど、 ひょっとしたら読まずに死ぬのかな、と思う。

あのことについて知りたいし、叶うなら芝居にしてみたいけれど、そのためには何を調べたら良いのか? ということがくっきりせず、時間ばかりが過ぎている、ということは、事実として、ある。

 

上の文、最後のところで、演出コースの1年についての言及があるのは、このとき僕は2年生で、演出コースの1年生の授業を取っていたからだ。神永先生と山田さんの授業。なつかしい。いまとなっては、あまり、覚えていないけど、遊んでいるような授業だった。

20人くらいの演出コースの学生の中で、一人ずつ己の演出を試みる、他の学生を駒代わりにして。演出家役の学生が、まず舞台美術の間取り図を提出して、役者役(?)と観衆役の学生にプレゼンしたものだった。ここで他人の演出思考をまざまざと見られたのは得難い経験だった気がする。だって、普通、同じ空間にそんなにたくさん演出家はいないじゃん。学生ならではだ。映画における主人公たちの過去編にいるみたいな空間だった。(ジェダイになる前のパダワンの集まり)

「舞台美術」から考えるケースが多いのが商業演劇っぽくて面白かった。

 

演出というのは、一番、遊ぶ、という行為に近くて良いな、と思った。大学二年生は。演劇、戯曲、役者、という良く転がる玉のような物を、積んでみたり、油を塗って燃やしてみたり、してはどうか? と提案して、いざしてみたら意外と燃えなかったり、自然と転がってしまって、思うがままにならなかったりしたけれど。

 

それにしても上記の授業で課題だった『地蔵教由来』はなんであんなによく課題にされたのだろう。(劇作コースの授業でも出てきた)当時はすげーつまんないと思ってたし、未だ再読とかしていないので、その印象は更新されないままだ。しかし、なんかあったんだろうな、理由が。