まわれアザラシ、棍棒よけて。

公演の宣伝用ブログ 兼 雑記

22歳⑦

TITLE: ツイッターは怖いから

DATE: 08/10/2012 01:18:50

 

人に嫌われないのは絶対に無理だから、
自分の好きな人には、ときどき嫌われつつも、
トータルで愛してもらえるような人間になりたい、

馬鹿さはせめて笑われたい。許される範囲でおさまりたい。



なりたいだけはたくさんなりたい。

 

〜〜〜

よくわかる。たぶん、何か大きな失敗をしたんじゃないか。

 

今でもしょっちゅう思うのは、嫌いな人に嫌われるのは心底どうでもいいが、好きな人に嫌われるのは本当にしんどいということ。嫌われるまでいかなくても「こいつ面倒くさい」とか「こいつバカ?」とか「ああ、こいつはこういうやつなんだ」と思われるのが辛いということ。本当に思われてるかはわからなくても、思われたんじゃないかと思うのは辛いということ。

 

辛いけど、時間は戻せない。やってしまったことはどうにもならない。

ただ忘却という救いがあるのみ。

 

でも忘却にも限界がある。失態が蓄積すると、そういう認識になる。

だから、他の部分で取り返せないか、ダメだった部分以外に、少しでも良いところもあることを知ってもらいたい。トータルで、認めてもらえないか、ということ。

 

認めてもらいたい。

ダメな奴だ、イヤな奴だ、あいつに興味ない、

そう思われたくない、という思いを捨てることができない。

 

と、 

以下は話が逸れるが、就職して、辞めて、いくつかのアルバイトを経て思ったこと。

 

ある事(仮にAとする)ができない人に対して、絶対にAが出来なくてはならない。例外は認めない。やれ。

という職場と、

 

じゃあBをやってくれればいいよ。

あるいは、できない人自身が「Cで挽回させて欲しい」と願ったときに、

じゃあCをやってくれ。という職場。

 

が世の中には存在する。

 

もちろん職種的に前者でしかありえないところはある。でも、後者であっても問題ないのに前者であるところもあり、そういうところからはとっとと立ち去った方が、Aがどうしても出来ない人は生きやすい、ということ。

 

人間は、というより僕は、やっぱり挽回したいと思ってしまう。挽回する権利を主張したい。挽回を成功させるために、方法は自分で選びたい。と思う。

 

一方で、挽回なんて本当は必要ないかもしれない、とも思うけど、

それでも挽回したい、トータルで認められたい、という気持ちをなくすことはできない。