22歳⑤
TITLE: 日記を公開することに恥じらいを覚えていた時期もありました、
CATEGORY: 思ったこと
DATE: 07/29/2012 11:26:55
とにかく、つぶやきやらささやきやら、誰かしらの膨大なものが日々ネット空間に放り込まれているのだ。もうジャンクジャンクジャンク、ジャンクだらけ。どーでもいいことだらけ。そんで、新しいジャンクを一つ二つ追加するぐらいなら、そんなに恥ずかしくないような気がするから、というようなみんながやってるから平気、的な、ね。
とか、そーいう、ややこしいことはあんまり考えたくない。
だから、ちゃんと書こうとか、前に書いてたけれど、今はそんなに興味ないです。
どうせジャンクだ。
ツイッターも恥ずかしかったのだけれど、あれはコミュニケーションツールだと気づいたら、だいぶ平気になった、コミュニケーション自体、べつに、いーいんじゃない?(ホントは平身低頭ですよー)
コミュニケーションはジャンクだ。
日々、ジャンクを積み重ねて、なにもない、廃墟のような人生だ。
それはそれでいいんじゃないかと思う。
世界に貢献しない、建てた端から崩れていく、そもそも何も立てる気がない、遊び、
ぬくぬくしたジャンクで溢れさせ、世界を見苦しく汚したり(そんな力もないか)端っこの方でぬるぬるやっているのも悪くはないっすね。
みたいな感じで、まずは書きたいことを書ける幸せを噛み締めればいいんじゃないだろうか、
ぬるぬる、と、ね。
〜〜〜
書きたいことが定まっていて、それを書くならジャンクにならない。
書きたいことが、上手く書けなくて隔靴掻痒、みたいな文章もゴミじゃない。
だから、書きたいことを書く、というのが、ちゃんと書くことだという感じがする。
でもジャンクはダメで、ちゃんと書くのがいい、のかというとそうでもない。
当たり前だ。Twitterなんかは、ちゃんと書かなくて良いというコンセプトの文章を放り出すコミニュケーション(?)ツールだし。 ブログも原稿料をもらっているわけでも、ファンがいるわけでも、社の方針があるわけでもないので、ちゃんと書かなくったって良い。ただ、自分はそれでOKか? というのがある。
「ちゃんと書いてみたい」と思っていたからには「ちゃんと書いてみる」ことをしてもいい。それを諦めることは「ちゃんと書きたい」と思っていた自分をちょっと裏切ってる。 この場合「ちゃんと」というのは、自分のためにある。