まわれアザラシ、棍棒よけて。

公演の宣伝用ブログ 兼 雑記

29歳⑩

TITLE: とりとめないよ、眠いしよ、あーでも、世の中面白いことだらけ、ふふふふ、あー、眠し、が、

DATE: 10/22/2011 23:31:30

BODY: ついにわが愛しきパソコンが、長旅を終え帰ってきた。新しいハードディスクをひっさげて、まっさらな記憶で、こころで。ま、これからオレ色に染まれていくのだがな、あばばば。

夜ですなぁ、まったく、まごうことなきそれよ。くったくたですわ、もう。
あさって、よ。明後日までに、課題のホンを、ほんのちょっとだけ書かなきゃいけないのだけれど、まだ一文字たりとも書いてないし。ほんとに、いけるんかな、コレ。書くのかな? いつもこうだし、なんにも降りてこないなぁ、ま、何か書くとき、なんか降りてくるとか、一度たりともないし、たぶん今後もないし、なんかちょっとキモイ発想やわ。

パソコンめげた。もげた。そんで、そんでよ、
ついに帰ってきて、やることがいっぱいあるのに、ね、
ワタシは、

とにかく、ブログが書きたかったのですよワタシは。
乱雑な、まとめない、個人史、ゴミみたいな、めちゃくちゃ僕にとっては愛らしいゴミみたいな、記憶の、記録を。

やっぱり書いておきたい。忘れるのがイヤなほど、面白いこと、面白い話、面白い人、愛すべき人がありすぎる。(そして、ボクの記憶力は弱すぎる、近頃ますます。)

まぁ、一番先立つのは、自己愛なんだろうけれど。でも最近、ちょっと、なんだか、人の話を聞くのが、前より好きになった、と思う。自分に、誇れますよ、これは。

みんな、なんかすげーいろいろ素敵なことも、くだんねぇーことも、考えてるし、
うわぁ、頭いいなぁ、
誠実だなぁ、
キラキラしてんなぁ、
ちょっと眩しすぎてキモイなぁ、でも、素敵だなぁ、

みたいで、うっわ、すげぇな世界。

 

〜〜〜

個人史を書きたいと言いながら、具体的なことをあまり書いていない。

一体何があって、上に書いたようなことを思ったんだろう。

どういう人を見て、話して、愛すべきだと思ったんだろう。

 

今読むとそこがわからないから、流してしまう。

キラキラした気持ち、躁状態であるときに、そうでない人に伝わるためには、たくさん説明がいるのだな。

前の記事で、読者のことを考えた説明、みたいなのはいらないのでは? 書いてるときに楽しいことが重要なのでは? と思ったけど、今僕は読者だから、そうは思わない。

前の記事に意見を書いた時とは違う日だからか。

他人のいない文章だ。対象のない。

 

一つ思い出した言葉がある。

「世界に、とか、人類に、とか、やたら曖昧で、大きなものに対する愛はすべて自己愛だ」

 

大きくても対象との関係がしっかりあればそれは自己愛じゃないのかもしれない。

「宇宙」とか「国」とか「芸術」とか。

それなりの時間、関わって、愛憎入り交じって、一人一人の顔が見えるように、色んな問題点と良い点に思い当たって、それでも全肯定したいとき。

自分もその中に入っているだろうから、自己愛でもあるのだろうけど。

 

ま、自己愛かどうかというか、他者への愛だったら全肯定かっつーと、愛がもたらす、世界への認知法や、行動には無限にバラエティがあるから、そのなかにはいいものもあれば、はた迷惑なものもあるだろうし。

そんなかで、自己愛のみにくさもあれば、自己愛ゆえの、せつなさや、

他者愛ゆえの迷惑さや、放っといてやれよという感じも、

どっちにしろ鼻につく感じもあるやろうし、下品さと上品さ、きもさと素敵さがあって、対象をいかに見るか(観察するか、盲するか)と、対象に対するアクションがそれを決定するのやろうか。

 

だれが決めるんだって話やけど、たぶん、社会とか、おれ(自分)とか○○さんとか(他の人)