まわれアザラシ、棍棒よけて。

公演の宣伝用ブログ 兼 雑記

20歳②③

TITLE: 萩焼のコーヒーカップを買う。

 CATEGORY: 日常生活

DATE: 03/30/2011 14:08:44 -----

BODY: 南蛮屋で萩焼のコーヒーカップを買った。焼き物は集めだすと止まらない。ボクの弁ではない、南蛮屋の店主の言葉である。ひとつひとつが違うの、見ているだけで楽しい。

ここ一年ばかり、皿やカップ、焼き物に使う金が増えた。金を惜しげもなく、というか浪費が好きなんだけど、使ってしまう。

コーヒーを淹れて飲んだあと、しみじみと底を見る。青い。オーロラみたいな青色、淡かったり濃かったり、様々な青がある。見ると、いろんなものに見える。知らない星の朝焼け、光が差し込む海。黒に近い青は宇宙にそっくりだ。

良く見ると、形も歪んでいる。口をつけるところの高さが一定じゃない。底に彫ってある作者の名前も汚い。そういうのが愛おしい。

昔はそんなものにお金を使なんて信じられなかったけど、楽しいんだから仕方ない。

人は、自分のヒマを潰してくれるものに、快楽を満たしてくれるものに、喜んでお金を払う。時間を犠牲にする。
それは、テレビゲームかもしれないし、マンガかもしれないし、お菓子かもしれない。
そして出来るだけ長く、深く楽しめるものほど、金を払っていい気持ちになる。得したと思う。

だから読めもしないのに、本を買うとソンした気分になる。
だれがなんといおうと。いかに深い哲学書でも。楽しめるなら、マンガの方がよっぽど価値があるだろう。いかに体裁を取繕っても、充実はそこにあると思う。名盤だと言われるアルバムだってねぇ、聞けねぇよ、フリはできても。無理はしたくない。

楽しめるモノには何にでも価値があるでしょう。
コーヒーカップで楽しめるんだから。カップを買います。
ゲームで楽しめるんだったら、ゲームを買うんじゃないですか。
ゴキブリで楽しめる人は、ゴキブリを買うだろう。南米まで捕まえに行くかもしれないが。

数学で楽しめる人もいるだろう。
ものを書いて楽しめる人もいるだろう。

楽しいことにお金を使うことにやはり抵抗は少ない。
人の趣味はなかなか馬鹿にできない。
募金する人も、神社に賽銭を入れる人も、なにかしら満足を得ているのだろう。
浪費乱費無駄遣いに見えても、当人にとってはムダじゃないかもしれないのだ。 

〜〜〜

自分で稼いだわけでもない金で焼き物買ってうんうん言っているのは間抜けでなかなか面白い。

 

甘やかされた育ちが出ている。

 

でも、

「できるだけ長く、深く楽しめるものほど、金を払っていい気持ちになる」という意見には今ではまるで賛同できない。ギャンブルにハマる人もいるし。

 

あと「読めもしないのに、本を買うとソンした気持ちになる」というのも、

何かうまく言い表せていない。今の価値観だと、本はインテリアだから、読めるインテリアだから(レコードが聴ける美術品であるのと同じように)深い哲学書に呪術的なパワーを感じて金払う人にはすごく納得できる。

とにかくとっ散らかって、何を行っているのか要領を得ない文章だ。

やはり、対象は大きい(金の使い方と幸福感)くせに、具体的なエピソードがなく、ありきたりの言葉ばかりぶつ切りで並べて、面白くない。

 

当時は何かしら上手いこと言ったと思っていたのだろうなぁ。

(しかし、昔の自分の文章を相手に何言ってるんだ?)