まわれアザラシ、棍棒よけて。

公演の宣伝用ブログ 兼 雑記

20歳⑩

DATE: 02/05/2011 18:51:10 ----- BODY: ひょっとこ乱舞の『ロクな死にかた』を観た。

ついさっき。

あんまり長々と書きたくない。それぐらいよかった。
いい芝居を観た後は、パッと喋れないし、喋りたくない。

あんまり長々とは喋りたくないし、やっぱり演劇って、、、、言葉で伝えても、、何分の一も、、何十分の一も、何万分の一も伝えられないのかもしれないけど、、、、よかったです。うーん。

現代の若者っぽい、言葉で、他の人はどう感じるかわからないけど、ボクはとてもシンパシーを感じた。

生きるということが、テーマで、
ロクな死に方ってことで、死に方から始まって、死になって、
死ということは、つまり、死ぬまでは生きてることで、
死んだらどうなるか、自分が消えるのか、世界が消えるのか、
だいたいは、自分が消えるだけってこと、になってて、

やっぱり、世界は続くんじゃないか、っていう、仮定のもとで、
じゃあ、自分が消えた後の世界っていうのは、、、、一体どういう、、、ふうになっていく、というか、
でも、消えたあとなんだから、そんなこと考えても仕方ないっていうか、

死に方って、じゃあ、結局なんなんだ、、、っていう、けど、
じゃあそもそも、、、生きるっていうのは、なんなんだちくしょう
どうせ死ぬんだぜ俺らは、

たとえば、芝居中のセリフにあったけれど、

僕らは、たとえば、スカイダイビングみたいに、とても高いところから、落下し続けているのかもしれない、
でも、、、、僕らは、ときどき、あまりに高いところにいすぎて、自分たちが、ものすごい早さで、落ちていることにも気づかず、
恋をしたり、、、メシ喰ったり、、、いろいろして、、、んだけど、、、いつかは、、、、、落ちるんだぜってことは、
みんなわかっているし、、、わかってるハズなんだけど、、、それでも僕らは、、、

ていうような話だったと思うのだけれど、やっぱりそこに普遍性はあるんだろうし、観た後の感動やら何やらは、そこにあるのかもしれない。

ダンスとかあって、肉体を使うのが、やっぱり演劇っぽくて、僕達も生きる上で、肉体を使っているわけで、その小説みたいな、観念だけじゃなくて、躍動感とか、生命力とかがすごく表現されている気がして、すごくよかった。

やっぱり肉体を使わないと。

あんまり考えずに、だー、っと書いてみたけど、長くなっちゃった。

 

〜〜〜

たくさん観劇していると、たまーっに本当に本当に感動して、興奮して、

心臓がバクバクいって、脳がまともに働いてくれなくて、劇中のよかったところや、エグられたセリフ、そこから感じた悟りみたいなものを、反芻して反芻して、とても普段の自分の体ではないような、日常生活に戻ることが不可能であるような状態になることがあった。

 

劇場で

加藤健一事務所『詩人の恋』

二騎の会『F』

乞局乞局

五反田団『迷子になるわ』

ハイバイ『投げられやすい石』

サンプル『シフト』

……その他、たくさん。

 

映像で

『キレイ』大人計画

『贋作 桜の森の満開の下夢の遊眠社

『死の教室』カントール

 

やはり、年々、感動することが減っていく。

それはどうにも間違っているに違いない。

 

ただ、救いとしては、最近は音楽聞いてて感動することが多いので、

単純に触れる数が問題なのだと思う。

それは、数打ちゃ当たる的な意味でもあるし、

数打って、どんどん体にしみ込んでいくものもあるということ。

 

心は良く死にかける。

こうやって、日記を反芻して、生き返るものも、少しはある気がする。

 

あと、うまいものとか、でかい風呂とか。