まわれアザラシ、棍棒よけて。

公演の宣伝用ブログ 兼 雑記

20歳②②

CATEGORY: 読書 BODY: 電車で、坂口安吾の短編集『肝臓先生』を読んだ。
ほんとに50年以上前の文章とは思えないほど、アカ抜けた文体だ。すごく読みやすい。

安吾の魅力は、そのモノの見方とそれを正直に書くところにあると思う。
うまくは言えないけど、本当に正直だから、響いてくる。ブルーハーツのロックみたいなもんだ。

無頼派というくくりにまとめられているからじゃないけど、太宰治も正直なところがある作家だったように思う。安吾に比べて、嘘や方便も交えてて、そんなところも自覚していて、という感じがするけど。

心に響くいい文章なので、つい写したくなる。引用したくなる。
部分を抜き出して、それが全体みたいに伝えるのは(伝わらないと思うし)よくないと思うのけど写したい。大変乱暴で申し訳ないけど。

短編集内の自伝的作品、「魔の退屈」から、

それほど死ぬことを恐れながら、私は人が親切に薦めてくれる疎開をすげなくしりぞけて東京にとどまっていたが、こういう矛盾は私の一生の矛盾であり、その運命を私は常に甘受してきたのである。一言にして言えば、私の好奇心というものは、馬鹿げたものなのだ。私は最も死を恐れる小心者でありながら、好奇心とともに遊ぶという誘惑をしりぞけることができなかった。およそ私は戦争を呪ってなかった。おそらく日本中でもっとも戦争と無邪気に遊んだ馬鹿者であったろうと考える。

中略(以下空白は中略)

せっかく戦争にめぐり合ったのだから、戦争の中心点を出はずれたくなかったのである。これまた好奇心であった。いろいろの好奇心が押し合いへし合いしていたが、中心地点にふみとどまるという好奇心と、そこで生き残りたいという好奇心と、その二つが一番激しかったのである。死んだらそれまでだという諦めももっていた。


 実際よく本を読んだ。みんな歴史の本だった。ところが、その歴史がまったく現実とひどく近くなっていた。見たまえ、第一、夜の明かりがないではないか。交通機関の主要なものが脚となった。けれども、そういうことよりも、人間の生活が歴史の奥から生まれだそうとする素朴な原型に還っていた。酒だのタバコだので行列する。割り込むヤツがある。隣組から代表をだして権利を主張する奴がある。権利とか法律とかいうものはこうしてだんだん組織化されてきたのだろうと思った。むかし「座」というものがあった。職業組合のようなものであるが、そういう利益をまもるための、個人が組合をつくったり、権利を主張したりするその最も素朴な原型が、われわれの四周に現に始まっているのだ。空襲下の日本はすでに文明開化の紐はズタズタにたち切られて応仁の乱の焦土とさして変わらぬ様相になっている。供出という方法も昔の荘園に似てきたが、やっぱり百姓は当時から米を隠したに相違ない。原型に綺麗なものは何もない。我利我利の私慾ばかりで、それを組合とか団体とかの力で自然に守ろうとする。

 歴史の時間は長いが、しかしその距離はひどく短いのだということを痛感したのである。行列だの供出の人の心の様相はすでに千年前の日本であった。今に至る千年間の文化の最も素朴な原型へたった数年で戻ったのである。しかし、また、あべこべに、と私は考えた。組み立てるのも早いのだ。千年の昔の時間をまともに考える必要はない。十年か二十年でたくさんなのだ、と。だから私は敗戦後の日本がむしろ混乱しうる最大の混乱に落ちて、精神の最大のデカダンスが来た方がいいと思った。中途半端な混乱は中途半端なモラルしか生み出せない。大混乱は大秩序へと近づく道で、そして私は最大の混乱から建設までに決して過去の歴史の流れのような空虚な長い時間は必要ではない、と信じることができたからであった。
 それにしても、これほど万事につけて我利我利の私慾、自分の都合ばかり考えるようになりながら、この真の暗闇の中で泥棒だのオイハギのほとんどないのは、どういうわけだろう、私の関心の最大のこと、むしろわたしの驚異がそれであった。最低生活とはいえ、みんなともかく食えるということが、この平静な秩序を生んでいるのだと思わざるを得なかった。また、金を盗んでも、遊びというものがないから、泥棒の要もないのだ。
 働く者はみんな食える、貧乏はないということはかくのごとく死のごとく馬鹿阿呆のごとく平穏であることを銘記する必要がある。人間の幸福はそんなところにはない。泥棒し、人殺ししても欲しいものが存在するところに人間の真実の生活があるのだ。


こういう正直な文はオトナの文という感じがしない。オトナの文はもっと穏健だ。信用ができる。万事わかっているという感じがする。

安吾の文には、なんだか思索中というか求道中というか、確としない、不安定なものがそのままでている。そこがたまらなく好きだ。

円熟とかいうぐらいだから、四角とか三角のバランスが悪くて尖っているものは、熟してないモノと思われるのかもしれない。尖っていて青い、青いけど、そういう青臭さに憧れる。ガキっぽいと言われようが、それは誰もが通るハシカのような病気だよ、と言われても、こういう文の信奉者になってしまう。


『肝臓先生』の中に収録されている100ページちょっとの短編(?)「ジロリの女」は衝撃的だった。
素直に、すげぇと思った。なんか文学とか、権威とか、そういうんじゃなくて、上手で、続きが気になる小説だった。なによりも、最後のページを読み終わった時に泣きそうになった。キーボードを打っているリアルタイムのいまも少し涙が滲んできた、やっぱり病気だ。でも安吾はすげぇ。


最後に僕が一番好きな文章のひとつ、太宰が死んだときに、安吾が太宰について書いたエッセイ(?)『不良少年とキリスト』からホントに泣いてしまった箇所を引用します。もちろん全体で読まないと感動はないのだろうけど。ソレぐらい好きなので、ノートに写したこともある文なので。

の前に、瑞々しい冒頭部も引用したい。これが、六十年前の文章だ!

 もう十日、歯が痛い。右頬に氷をのせ、ズルフォン錠をのんで、ねている。ねていたくないのだが、氷をのせるとねる以外に仕方がない。ねて本を読む。太宰の本をあらかた読み返した。
 ズルフォン錠を三箱カラにしたが、痛みがとまらない。是非なく、医者へ行った。
「ハア、たいへん、よろしい。私の申し上げることも、ズルフォン錠をのんで、氷嚢をあてる、それだけです、それが何より、よろしい」
 こっちはそれだけではよろしくないのである。
 「今に、治るだろうと思います」
 この医者は完璧な言葉を用いる。今に、治るだろうと思います、か。医学は主観的認識の問題か、薬物の客観的効果の問題であるか、ともかく、こっちは、歯が痛いのだよ。
 原子バクダンで百万人一瞬でたたきつぶしたって、たった一人の歯の痛みがとまらなきゃ、なにが文明だい、バカヤロー。
 女房がズルフォン剤のガラスビンを縦に立てようとしてガチャリと倒す。音響が、とびあがるほど、ひびくのである。
 「コラ、バカ者!」
 「このガラスビンは立てることができるのよ」
 先方は、曲芸を楽しんでいるのである。
 「オマエサンは、バカだから、キライだよ」
 女房の血相が変わる。怒り、骨髄に徹したのである。こっちは痛み骨髄に徹している。
 グサリと短刀を頬へつきさす。エイとえぐる。気持、よきにあらずや。ノドにグリグリができている。そこが、うずく。耳が痛い。頭のシンも、電気のようにヒリヒリする。
 クビをくくれ。悪魔を亡ぼせ。退治せよ。すすめ。まけるな。戦え。
 かの三文文士は、歯痛によって、ついに、クビをくくって死せり。決死の血相、ものすごし。闘志充分なりき。偉大。
 ほめて、くれねぇだろうな。誰も。
 歯が痛い、などといことは、目下、歯が痛い人間以外は誰も同感してくれないのである。
 たった一人、銀座出版の枡金編集長という珍妙な人物が、同情を寄せてくれた。
 「ウム、安吾さんよ。まさしく、歯は痛いもんじゃよ。歯の病気と生殖器の病気は、同類項の陰鬱じゃ」
 うまいことを言う。まったく、陰にこもっている。してみれば、借金も同類項だろう。借金は陰鬱なる病気也。不治の病也。これを退治せんとするも人力の及ぶべからず、ああ、悲し、悲し。
 歯痛をこらえてニッコリ笑う。ちっとも偉かくねぇや。このバカヤロー。
 ああ、歯痛に泣く、蹴とばすぞ。このバカ者。
 歯は、何本あるか、これが、問題なんだ。人によって、歯の数が違うものだと思っていたら、そうじゃ、ないんだってね。変なところまで、似せやがるよ。そうまで、しなくたって、いいじゃないか。だからオレは、神様が、きらいなんだ。なんだって、歯の数まで、同じにしやがるんだろう。気違いめ。まったくさ。そういうキチョウメンなヤリカタは、気違いのものなんだ。もっと、素直に、なりやがれ。
 歯痛をこらえてニッコリ、笑う。ニッコリ笑って、人を斬る。黙って坐れば、ピタリと、治る。オタスケじいさんだ。なるほど、信者が集まる筈だ。
 余は、歯痛によって、十日間カンシャクを起こせり。女房は親切なりき。枕頭にはべり、カナダライに水をいれ、タオルをしぼり、五分おきに余のホッペタにのせかえてくれたり。怒り骨髄に徹すれど、色にも見せず、貞淑、女大学なり。
 十日目。
 「治った?」
 「ウム。いくらか、治った」
 女という動物が、何を考えているか、これは利巧な人間には、わからんよ。女房、とたんに、血相変わり。
 「十日間、私を、いじめたな」
 余はブンナグラレ、蹴とばされたり。
 ああ、余の死するや、女房とたんに血相変わり、一生涯、私を、いじめたな、と余のナキガラをナグリ、クビをしめるべし。とたんに、余、生きかえれば、面白し。
 壇一雄、来る。ふところより高価なるタバコをとりだし、貧乏するとゼイタクになる。タンマリあると20円の手巻きを買う、と呟きつつ、余に一個くれたり。
 「太宰が死にましたね。死んだから、葬式に行かなかった」
死なない葬式が、あるものか。


この軽妙な文章がここから少し転調する。(以下空白は中略)

 太宰の死は、誰よりも早く、私が知った。まだ新聞へ出ないうちに、新潮の記者が知らせに来たのである。それをきくと、私はただちに置き手紙を残して行方をくらました。新聞、雑誌が太宰のことで襲撃すると直覚に及んだからで、太宰のことは当分語りたくないから、と来訪の記者諸氏に宛て、書き残して、家をでたのである。これがマチガイのもとであった。
 新聞記者は私の置手紙の日付が新聞記事より早いので、怪しんだのだ。太宰の自殺が狂言で、私が二人をかくまっていると思ったのである。


新聞記者のカンチガイが本当であったら、大いに、よかった。一年間ぐらい太宰を隠しておいて、ヒョイと生きかえらせたら、新聞記者や良識ある人々はカンカンと怒るか知れないが、たまにはそんなことが有っても、いいではないか。本当の自殺より、狂言自殺をたくらむだけのイタズラができたら、太宰の文学はもっと傑れたものになったろうと私は思う。

ここから、しばらく、太宰の死について安吾なりの分析が進む。
彼がいかにまっとうだったか、まっとうながらも、時にフツカヨイ的な行動や言動をとり、後にそれをどれほど悔む、赤面逆上していたか。今回の自殺もまさにフツカヨイ的行動をとり、もし生きのびたら翌日目覚めたときにあらためて後悔し、いつものように赤面していたであろうが、自殺に限っては翌日目覚めないからタチが悪い、ということが語られる。

虚無というものは、思想ではないのである。人間そのものに付随した生理的な精神内容で、思想というものはもっとバカな、オッチョコチョイなものだ。キリストは思想ではなく、人間そのものである。人間性(虚無は人間性の付属品だ)は永久不変のものであり、人間一般のものであるが、個人というものは50年しか生きられない人間で、その点で、唯一特別な人間であり、人間一般とは違う。思想とは、この個人に属するもので、だから、生き、また亡びるものである。だから、元来おっちょこちょいなのである。
 思想とは、個人が、ともかく、自分の一生を大切に、よりよく生きようとして、工夫をこらし、必死にあみだした策であるが、それだから、又、人間死んでしまえば、それまでさ、アクセクするな、と言ってしまえば、それまでだ。
 太宰は悟りすまして、そう云いきることもできなかった。そのくせ、よりよく生きる工夫をほどこし、青くさい思想を怖れず、バカになることは、尚、できなかった。然し、そう悟りすまして、冷然、人生を白眼視しても、ちっとも救われず、偉くもない。それを太宰はイヤというほど知っていた筈だ。
 太宰のこういう「救われざる悲しさ」は、太宰ファンなどというものには分からない。太宰ファンは、太宰が冷然、人生を白眼視、青くさい思想や人間どもの悪アガキを冷笑して、フツカヨイ的な自虐作用をみせるたびに、カッサイしていたのである。
 太宰は、フツカヨイ的では、ありたくないと思い、もっともそれを呪っていた筈だ。どんなに青くさくても構わない、幼稚でもいい、よりよく生きるために、世間的な善行でもなんでも、必死に工夫して、よい人間になりたかった筈なのだ。

それをさせなかったものは、諸々の彼の虚弱だ。そして彼は現世のファンに迎合し、歴史の中のM・Cにならず、ファンのためのM・Cになった。



しかし、なぜか僕がいつも気になるのは、このあと最後につづく一連の文なのだ。チャップリンの『独裁者』の最後の演説のように、太宰について語っていた文章だったはずなのに、いつのまにか浮いてきたる箇所だ。

 
 死ぬ、とか、自殺とか、くだらぬことだ。負けたから、死ぬのである。勝てば、死にはせぬ。死の勝利。そんなバカな論理を信じるのは、オタスケじいさんの虫きりを信じるより阿呆らしい。
 人間は生きることが、全部である。死ねば、なくなる。名声だの、芸術は長し、バカバカしい。私はユーレイはキライだよ。死んでも生きているなんて、そんなユーレイはキライだよ。
 生きることだけが、大事である、ということ。たったこれだけのことが、分かっていない。本当は、分かるとか、分からんという問題じゃない。生きるか、死ぬか、二つしか、ありやせぬ。おまけに死ぬほうはただいなくなるだけで、何もないだけのことじゃないか。生きてみせ、やりぬいてみせ、戦いぬいてみなければならぬ。いつでも、死ねる。そんな、つまらんことをやるな。いつでも出来ることなんか、やるもんじゃないよ。
 死ぬときはただ無に帰するのみであるという、このツツマシイ人間のまことの義務に忠実でなくてはならぬ。私は、これを、人間の義務とみるのである。生きているだけが人間で、あとは、白骨、否、無である。ただ、生きることのみ知ることによって、正義、真実が生まれる。生と死を論ずる宗教だの哲学だのに、正義も真理もあるはせぬ、あれはオモチャだ。

 然し、生きていると、疲れるね。かく言う私も、時に、無に帰そうと思うときが、あるですよ。戦いぬく、言うは易く、疲れるね。然し、度胸は、きめている。是が非でも、生きる時間を、生きぬくよ。そして、戦うよ。決して、負けぬ。負けぬとは、戦う、ということです。それ以外に、勝負など、ありやせぬ。戦っていれば、負けないのです。決して、勝てないのです。人間は、決して、勝ちません。ただ、負けないのだ。勝とうなんて、思っちゃ、いけない。勝てる筈が、ないじゃないか。誰に、何者に、勝つつもりなんだ。時間というものを、無限と見ては、いけないのである。そんな大ゲサな、子供の夢みたいなことを、本気に考えてはいけない。時間というものは、自分が生まれてから、死ぬまでの間です。大ゲサ過ぎたのだ。限度。学問とは、限度の発見にあるのだよ。大ゲサなのは、子供の夢想で、学問じゃないのです。原子バクダンを発見するのは学問じゃないのです。 子供の遊びです。これをコントロールし、適度に利用し、戦争などせず、平和な秩序を考え、そういう限度を発見するのが、学問なんです。
 自殺は、学問じゃないよ。子供の遊びです。はじめから、まず、限度を知っていることが、必要なのだ。
 私はこの戦争のおかげで、原子バクダンは学問じゃない、子供の遊びは学問じゃない、戦争も学問じゃない、ということを教えられた。大げさなものを買いかぶっていたのだ。
 学問は、限度の発見だ。私は、そのために戦う。 
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長い。震災後で大学にあった用事もなくなり、ヒマを持て余して、長文書くモードになっていた。震災後に『堕落論』を読み返した人は多そう。

 

好奇心ゆえに戦争を見たがる安吾の姿を見て、震災に対する自分の立場と重ねあわせたのかもしれない(←そんなのは後付けだけど)

 

安吾が太宰の死について書いたエッセイ「不良少年とキリスト」は、当時の僕にとって、一番の名文だった。アイルランドに留学していた半年間に、太宰の『晩年』(処女作品集)や『もの思う葦』(本当の晩年の作品が多い)などを読んで、太宰に親しみを覚えていたこともあり、染みた。

 

安吾は後半、確実に自分の文章に酔っている。

それを名文と捉えた感性故か、ぼくはいまだに、自分に酔いながら書いた文章を名文だと捉えてしまう。僕自身、自分に酔う以外の方法で、名文に近いものを書くことなんて、(僕には)到底不可能なように思える(抑制の利いた、知的な、堅実なタイプの)名文はとても自分には物に出来ないと、未だ。

 

ああ、変わってない。