まわれアザラシ、棍棒よけて。

公演の宣伝用ブログ 兼 雑記

④20歳

DATE: 12/07/2010 00:33:57 ----- BODY: 相変わらず台本を書いている。あしたは鐘下さんの授業、やったね。

同時進行で違う芝居の演出もする。
ああ、苦しい、苦しい、苦しい。と書くと病んでいるようだけど、べつにそんなことはない。
座組みの人と夜鳴き軒でラーメン食べる。こってりしていてうまい。

正月は家に帰る気はないと言うと、避難ごうごうであった。もちろん成人式もでない。

ウチの大学には孔子像と教会があるので、宗教戦争が起きれば面白いという話で盛り上がる。
踏み絵に引っかかったやつは、全員磔刑。それ以外は皆生き埋め。

今日は、『チャップリン自伝 下 〜栄光の日々〜』を読む。

チャップリンが、アインシュタインとも、ピカソとも、サルトルとも、ブレヒトとも、周恩来とも、フルシチョフとも、ルーズベルトとも、フーヴァーとも、ブレヒトとも、チャーチルともお近づきになっていることに驚いた。
チャップリンの持っている演技論がやっぱりちょっと新劇っぽくて面白い。映画も初めは演劇と地続きだったのだなぁ。
今はとても遠い。

『真実の瞬間』という、ハリウッドの恥部、赤狩りをテーマにした映画を観る。

〜〜〜

恥ずかしい文章。儒教は宗教じゃないぞ。

今なりの視点で、偏見を込めて言うなら、僕はやっぱり田舎の人間なんだなぁと思った。

都会のサブカル少年なんかなら、たぶん恥ずかしくて目をそらすようなチャップリンとかベタな物が、文化のど真ん中だと思っていたのだ。もちろん、今も好きだし、全くバカにする気はないが。

「ハリウッドの恥部、赤狩り」というな紋切り型の表現も、そういうのがしっくりくるのが、当時の言語感覚だったのだろう。

どっかで自分の言語的嗜好に変遷があるとするならばそれは、興味深い。