まわれアザラシ、棍棒よけて。

公演の宣伝用ブログ 兼 雑記

20歳⑧

TITLE: 戯曲演習が終わった  CATEGORY: 演劇 DATE: 01/25/2011 22:46:30 ----- BODY: 鐘下さんの最後の授業があった。
いつも通りクラスメイトの書いた戯曲をたたき台に、芝居作りのセオリーを教えてくれた。

今日は「状況や、設定、心境などを、言葉で説明することを(止む得ない場合を除き)避けること」と、

「重要な秘密(あるいは設定)は全て、なるべく芝居の初めのうちに出せ!」ということを教わった。

若い人はつい、もったいぶるらしい。
「じつはコイツとコイツが兄弟だ!」とか、「私が本当の親だ!(あるいは敵だ)」とか隠したがるけど、そんなものは、とっとと出して、その設定で勝負した方がいい。そんなミステリー紛いのことをしても、案外、客は感動してくれない。「えー、いまさら」とか「突然だろー!」とかになることが多い。どうしても隠したい謎がある場合でも、他の小さな秘密とかをボンボン出していった方が面白くなる。

こういうのをプロットのうちから考えておくといいそうだ。

これは、芝居を観るとき、観客が心地いい、神の視点を作る、という手法にも関係あるんじゃないかと思う。神の視点とは、例えばベタだが、

「AとBはお互い大好き。でも、二人ともそれを知らない。」

これを、知って観るのと、知らずに観るのとでは大違いだろう。
突然、「じつは俺、オマエが」「あたしも…」とか言われても萎えるだけである。

あと、僕自身の作品の添削を見て、感じたこと思ったことを2、3つ。
僕だけではなく、他の子の戯曲も含めては、われわれは饒舌だなぁと思った。添削によって、確実にセリフは短く、鋭くなる。(はたしてソレがいいか悪いか?分かりやすさで言えば、断然分かりやすくなるのだけれど。)説明のゼリフときもあるけど、大概は、どうでもいい小ネタや、シュールな(あるいは遠まわしな)言い回しだったりする。いわゆる、ムダだ。なくてもいいもの。

だけど、添削されて、いつも思うのは、このムダの愛おしさだ。意味がないセリフに意味はないのか? ムダが、むしろ登場人物や物語を肉づけることにはならないのか?自分以外の作品についてもそう思う。

無駄なセリフや意味のない饒舌は、ひょっとすると、僕たちの世代、演劇を志すような人の一部、(あるいは結構たくさん)の傾向かもしれない、とか思ったり。それとも、いつの時代も、若者は饒舌なのかもしれない。


さぁて、楽しい授業は終わった。
あとはガンガン書きまくるだけである。

ん、さいきん文体が堅い?

〜〜〜

この記事を読み返して、「われわれは饒舌だ」という件を見て、

日大の戯曲のゼミの面談で、川村さんに言われたことを思い出した。

 

「もっとケミカルにやらなきゃダメだよ、ケミカルに」

この言葉の意図を掴み切れていないが、とても印象に残っている。

パッションだけで書いてはいけない。

わかる。