まわれアザラシ、棍棒よけて。

公演の宣伝用ブログ 兼 雑記

22歳④④

TITLE: あざらしを撲殺、江國香織を読む。
DATE: 04/29/2013 14:52:36


昼下がりだ、池袋に生きたい、行って何するものぞ。なにもできない。ファミレスでだらだらしたい。ま、台本直しがてら。

公演の準備がちゃくちゃくと整っている。みんなすごい。

稽古は二回目だが、楽しい。僕は楽しい。
なんか久々すぎて人の顔を伺ってしまう。卑屈だ。めんどくさい奴かも。
できないことはできないし、なんか自分に高望みしてる感ある、びっくりした。むりむり。

できないことはできないから、できなくてもいいと思う。
だぶーん。

みんながすごく協力してくれて、嬉しいし、楽しいし、有難い。
あー、普通のことばっか言ってしまう。まぁ普通だからなぁ。

「人間は誰でも、男でも女でも、真剣になると平凡よ」

せめて人並みに。
自意識がぴゅーぴゅー。

それはそうとして、本当に本当に本当に楽しみ。
頼まれたこと、仕事であることを、できるだけやっていこうと思う。

まじです。

まじ楽しみ。




舞城王太郎の「キミトピア」読む。「真夜中のブラブラ蜂」が好き。


江國香織を読む。「きらきらひかる
読みやすい。
ラストの感じが好き。ゆるい。暗ゆるい、ゆる暗い。ほのぼの暗い。
これからもっと、辛いこともいっぱいあるのでは、と思わなくもないけど。

ほかのも読んでみたい。「抱擁、あるいはライスには塩を」「神様のボート」が気になる。
なんか、つながりでよしもとばななの「デッドエンドの思い出」も気になる。読みたい。

スタジオボイス2002年5月号「ファンタジア150〜いま、もっとも有効なファンタジー映画&書籍150〜」購入。
G.ロダーリ「ファンタジーの文法」購入

ユリイカの特集「RPGの世界」とか、なかなか面白かった。役に立たない知識好き。クソゲーもすき、クソゲーやりたい、というか作りたい。

ファイナルファンタジーの1〜12のキャラクターとストーリーをプレイバックするため攻略本を読んだ。
とにかくビックリするぐらい人が死んでいる。

強いじじいが出てくると、まず、死ぬ。執拗にじじいが死ぬ、ババアも死ぬ。やばいぐらい差別的だ。
岩に潰されて死ぬ、全力を振り絞って死ぬ。寿命で死ぬ。犠牲になって死ぬ。

オビワンケノービーより北斗の拳寄りの感じで死ぬ。

まじファンタジーまじ過酷。殺さなきゃ話進まないの? 進まないんでしょう。

現実からの逃避装置として、ファンタジーもSFも本当に好きだけど、
芝居だとめちゃくちゃ地雷感ある。

やっぱそれはだいたいの人間の生身の体があんまりファンシーじゃないからだろうと思う。
そういうことを見て見ぬふりして、あれやこれや色々やろうとすると、ちょっとすごいことになる。

江國香織のやつも、そのままやるとファンシーすぎるのかも。
そーとう、イケメンじゃないとなぁ。
あ、結局そういうことなのかも、ファンタジーって。
ゲームも絶対美男美女だもんなぁ。

絶対にファンシーになれない生身の体が、ファンシーを求めて、ファンシーになりきれない姿を見てみたい。
ような、見たくないような。
痛々しいそれは、どういうものになるんだろう? 楽しみ楽しみ。


〜〜〜〜〜
また散漫な日記だ。
生身がファンシーじゃない、というより、生身は生身だ。
それをファンシーと取るか、取れるかは、作り手のイマジネーションと、受けてのイマジネーションによると思う。
ファンシーってなんだ、別世界味?
そう考えると、ダンスとかはわりとファンシーだと思いますね。舞台上のダンサーと、ロビーで挨拶しているダンサーは本当に別の生き物みたい。というより、舞台にいるダンサーはわれわれとは別の生き物みたい。とか、思いましたね。最近ダンス見ているときに。

さらに「実際にはどう考えても、ファンシーじゃないけれど、それはそういうものだから、それでいいんですっ!問題」がある。ファン以外には見えなくてもファンにはそう見える。ファン視ィ(ああ、老化。ああ、荒野。)みたいな現象はあって、脳内補完は馬鹿にならない。忌野清志郎の姿に感動しているおれに聞こえてる声や姿が、キヨシローを全然知りもしない人にとっては、あんまり、そんなだったりすることはあると思う。つっても、キヨシロー歌うめぇけど。ぜんぜんそう思わない人がいても不思議ではない。
という点で、つまり、今の僕はファンタジー芝居、殺陣、アイドルなどに対して、あんまりネガティブなことを言うべきではないと思っています。俺自身はぜんぜん好きじゃないけど。好きな人がめっちゃいる、その愛は尊い(ものもあれば、なんか、うざいのもある、他の愛と同様)ということは、記事を書いた時より、ずっと色々ミッキキして思うーまうす。