まわれアザラシ、棍棒よけて。

公演の宣伝用ブログ 兼 雑記

22歳④②

TITLE: うまく眠るこつ。
DATE: 04/08/2013 20:50:21


永井均の「子供のための哲学対話」って本があって、小さい時に読んでなんだか不気味さと面白さを感じてた。
「ぼく」と、しゃべるネコ(かなりブサイク)ペネトレとのダイアログなんだけど。

今読んでもいっぱいいっぱい面白い。
まじホント子供の本とは思えぬ、でも子供心になんだか説得力を感じてた。
どういうところが哲学なのか、哲学ってなんなのかわかんないんだけど、なんだか温もりを感じてた、わけでもなく、温くも冷たくもない不思議な手触りを感じてた。その乾いた感じが妙に魅力的だった。ブサイクで、道具を使わない乾いたドラえもん。そう、まさにドラえもんの立ち位置にいたんだペネトレは。


元気が出ないときはどうしたらいいか(1)より

ぼく:友だちとけんかしたときとか、そういう、なにかがっかりするようなことがあって、どうしても元気が出ないとき、どうしたらいいかな?

ペネトレ:気分とか感情はね、無理におさえこもうとすると心の中でくすぶりつづけるからね。ただわすれるのがいちばんいいんだ。

ぼく:そんなことできないよ、できないから、元気が出ないんだもん。

ペネトレ:わすれたいのにわすれられないんじゃなくて、ほんとはわすれたくないんじゃないかな? いやなことほど、心の中で何度も反復したくなるし、いやな感情ほど、それにひたりたくなるんだよ。わすれてしまうと、自分にとってなにか重要なものが失われてしまうような気がするのさ。

いいことや、楽しいことは、それ自体で満ち足りているから、わすれてしまっても全然平気なんだけど、いやなことのほうは、覚えておいて、あとで、なにかで埋め合わせしたいと思うのさ。だから、だれかにいやなことをされたときなんか、その人に対するうらみつらみという形で、そのことを心の中に残しておきたくなっちゃうんだよ。

ぼく:そういえば、そんな気もする。そういうとき、どうすればいいの?

ペネトレ:自分のやりかたを発明しないとね。そういうことに自分自身のやり方を発明するってことが、おとなになるってことなんだよ。自分に起こるいろんないやなこととか、不愉快な気分なんかを、自分の中でうまく処理する方法を身につけている人が、本当の意味でおとななんだよ。




ぼく:ペネトレはまえに言ってたよね。いやな気持ちほど、心の中でくりかえして味わいたくなるって。それから、元気を出すためには、いやな気持ちになった原因を徹底的に考えてみるといいって。ということは、いやな気持ちにひたりきることと、その原因を理解しようとするのは逆のことなんだね?

ペネトレ:よく気がついたね! ある感情がわきおこってきた原因をよく理解すると、その感情がうすれたり、消えたりすることがあるんだよ。つまり、頭でよくよくわかってないから、いつまでも心でもやもやを感じちゃうんだよ。

ぼく:うん、頭と心のちがいだね?

ペネトレ:たとえばね、きみのクラスに、いやなやつがいるだろう。きみがどうしてもすきになれないやつ。でもね、どんないやなやつだって、そうならざるえなかった必然性というものがあるんだ。どうしようもなく、そうなっちゃってるんだよ。その人はね、自分が出会ってきたいろんな問題を自分の中でうまく処理するために、そういう人格をつくることがどうしても必要だったんだよ。そうでしかありえなかったんだよ。その人がそうでしかありえなかった理由が、ぜんぶすっかり理解できたなら、その人に対して君が抱いている感情は消えてなくなるんだ。

ぼく:ほんとうに、消えてなくなるかな。

ペネトレ:いや、じつをいうとね、すべてを理解しつくせても、たまたまじぶんがいた、という不運の感情だけは消せないんだ。理解するってことは、そういうことはあっても当然なんだって思えるようになるってことなんだけど、自分が存在しているといことは、決して当然のことではないからね。


なんだか怖い。怖かった。








10 うまく眠るコツ より

ぼく:眠れないって思うとますます眠れなくなっちゃうんだ。眠っちゃう時はいつのまにか眠っちゃうのに、不思議だなぁ。
ペネトレ:人間がするたくさんのことのうちには、自分の力では絶対に実現できないことがあるんだ。眠ることがその代表だな。眠ろうとしてふとんに入ったら、あとはきみにできることはなにもない。ただ待っているより他はないんだ。そうすると、いつか時が、きみを眠らせてくれるんだよ。それをただ待つしかない。自分でなにかしようとしたら、かえって妨げになるんだ。自分にできることは、なにもない。きみが不眠症なら、人生の中のそういう種類のことを学ぶために、とても都合のいい立場にいることになるよ。
ぼく:眠りたいと思っているのに、眠ろうとしないなんてこと、できるかな。眠ろうとしているのに眠ろうとしないなんて!
ぺネトレ:だから、眠れなくてもいいんだって信じこまなけりゃだめさ。



きょうは、あさ5半に寝て、昼12時に起きたのです。
もうダメぽよ。

〜〜〜〜〜
著作権については大学時代に授業を受けた。NY州弁護士の福井建策さんの。ゲストの豪華な授業。
今のところ著作権侵害は(おそらく)非親告罪だから。訴えられない限り上の引用は大丈夫だ。
あと、引用は分量などにもよる。そのへんの機微は僕にはよく分からない。判例とかもっとたくさん知ってたらなんとなく塩梅が分るのでしょうが。
ということで、上の文章が気になる人は是非、飼ってください。ペネトレを。 間違えた買ってください。永井均著『子供のための哲学対話』を。漫画もついてて、めちゃくちゃ読みやすい。

上の文に、なにかしら「怖い」と書いてあって、その「怖い」わけはなんとなく想像ができるのですが、今はもう怖くない。(あんまり)そして、背中が痛い時と、胃腸を壊してお腹にガスが溜まっているとき以外は快食快眠です。(でもじつはストレスじゃねぇかな、と睨んでるんだけどガスの原因。目を逸らしてますね。)
大学を卒業するまで、ぼくはたぶん、社会に出るのがとても怖くて(ちなみに記事に書いてた方の「怖い」とはあんま関係ない。そっちのはお化けが恐い、とかの方がまだ似ている。そういう具体的な恐怖よりかは。)それゆえに、社会にもう出ちまって、それなりに安定する生活をしている今は昔より大分ポジティブです。
だけど、具体的じゃないネガティヴな感情は無駄だから考え過ぎないほうが良い、とは基本的には思いません。いや、思いますが、それはあくまで処世術であって、考えることそのものを否定すると、他者への共感性という点で死ぬと思うので、心と体を健やかに保つ為に、ネガティヴなことを忘れていても、他の人がネガティブなことをどうしても考えちゃうこと、自分より、ある種の事柄に置いて繊細だったりすること、あと、本来あるはずのネガティブなことから目を逸らす僕たち(僕は逸らしまくってます)を戒めようとしたり、目を覚まさせようとしてくれる人たちを、切り捨ててはいけないと思う。だけど、実際怖かったら切り捨てて生きてきた。でも今思う分にはタダだから。ときどき思わないと、忘れちゃうだろうし。

何が言いたいかというと、僕はいま、基本的に幸せであることで、哲学を離れている。と、書きかけて、面白いのが、永井均は「幸せな人しか哲学はできない」というようなことを(この「というようなこと」というのが重要です。)言っていたように僕は記憶しています。(違うかもしれない)
母親がハマって、僕もたくさん新書を読んだ、永井とも親交のある中島義道なんかは逆に「不幸な人しか哲学は出来ない」というような……(以下同)

物事を考える為には健康な方がいい、と僕は思います。
人が悪いことを言ったり、やったりしているときは、すごく疲れているんじゃないか、というのはよく考えます。まじで。