まわれアザラシ、棍棒よけて。

公演の宣伝用ブログ 兼 雑記

22歳③⑦

TITLE: なんかなんかやわぁ。
DATE: 03/30/2013 19:43:21

この気持ちもきっと更新されるやろうけど、いい感じ。

ひとつはとてもいい戯曲を読んだこと。
ひとつ戯曲を読んでる時に、マリーズの「ジャーニー」が流れて、ビックリしたこと。心底びっくりした。

ジャーニー聞いてどうにもならん事態も世の中にはたくさんあるけど、幸いにして今はそうではない。

台本を書けんことをうじうじ悩んでたけど、
昔のことを考えてみた。

もともと書けん、書けるで言うたら、文字は書ける。
あとは大きな問題ではない。

文字で何を書くかだけを考えてワクワクしてた、
そのことを忘れて、文字で何を書くかを考えてワクワクするステップを忘れて、
一体どこへ行こうとするのか、
なにをしようとしてるの?
なにをいってるの?
なんでそんなくちゃくちゃになってんの?

あぁ、なにを書いても空虚になるなぁ。
子供みたいに、楽しんでできたものに価値があるなら、それはやっぱり子供みたいな気持ちを、思い起こしてくれることが往々にあるわけで、それはただのノスタルジーとか回顧とかじゃなくて、人生はもっと、楽しくやれたんだ、今だって何の問題もないんだ、その自意識の持ち方以外。ってことを、ついつい忘れて自意識に振り回されて、やりたくもねぇことに泣くことになる。僕は泣くのが好きじゃない。気持ちいい時もあるけど。

昔より、やらなきゃいけないことはたくさんあるけど、それを昔みたいに楽しんじゃダメってルールはどこにもないのに。

なんでポジティブだったんだろ。
なんでネガティブになったんだろ。

やりたいことに敏感だった、
やりたいことと、やりたくないことが乖離、

ミッキーマウスちくしょうめ。
悪態、つきたいならつかなきゃ。
人生は、馬鹿にしてなんぼでしょう。ホンマに。いつの間に忘れてしまったんだ?



子供がね、話すような感じでね、ずっとね、行けたらね、あっという間になんか書けるよ。
なんかね。

そんで、自分が素晴らしいと思ったら、それはもう完全に文句のつけようのなく素晴らしいのに。

書きたいのか、上演したいのか、何がしたいのか、
お金か、尊敬か、
全部がばらばらで僕の頭の中が混乱してる、
滑稽だ、なにもしてないうちから、これは笑える。

嗅覚でもっと選別できる。
もっとすっと行くはずだ。
おれは桜を見に行くよ、
見に行きたい。
この世に大切なことは、桜を見ること、それ以外にはなにもないでしょう。


コップの中を、覗く。私の顔は写ってないけど、コップの底がある。
なんにも写してない、美しい、底。青くて深いコップ。

コーヒー残りが一滴二滴、


〜〜〜
コップの中を見るのは太宰の『晩年』(という名の処女作品集)から。
お茶の中にはきれいなきれいな私の顔が映っているよ。
なんとか、なる。

あと岡本太郎かな。コップの底と言えば。

これも観念的な文章だけど(具体的なエピソードがなくて、すべて、書いている僕の頭の中で起きていることについて書いている。)今でもよくわかる。ということは他の人にもわかるのでは。8年後の自分にわかるなら。

「世の中で大事なことは桜を見ること以外にないはずだ」というのはいかにも守るもののない人の文章だ。今の俺もまだそうだ。