22歳③⑥
TITLE: また夢見ちゃった。
CATEGORY: 思ったこと
DATE: 03/30/2013 18:04:52
今日は宗教の勧誘で目覚めた。
目覚めた!
「おはようございます」
その人はキリストの人だった。
こちらの気持ちを安らげ、落ち着かせるような深い声をしていた。
「お休みのところすみません、わたくし伝道の、」
思わずドアを閉めてしまった。
そのとき僕はまだ完全に目覚めてなかったのです。
またも夢を見ていた。昨日もちゃんと早めに寝られなかった。
反省はした。
眠くなる本を読もうと考えた、
一も二もない、ロシア文学だ。
ドストエフスキーの「地下室の手記」を読んだ。
眠くならなかった。むしろギンギンだった。
僕が間違っていた、
ロシア文学は眠い。なぜなら、ロシア人は議論が大好きだ。
四六時中どうでもいいことを議論する。
そして「手記」というのは、通常一人の人間が書く、記録のようなものだ。
いわばブログだ。一人論議だ。
議論好きな人間が誰に邪魔されるともなく、自説を好きなだけ開陳できるブログだ。
それはそれは眠いはず、
しかし、僕は間違ってた。なぜなら僕もまたここでこうやって、自説を開陳したり、主張、うんたらしてる。
そのような人間にとっては、人のそういうのを読むこともあんまり苦じゃない、むしろ楽だ。
相性が悪かった。良かったというか。
で、本自体の感想はどうでもいい、そんなことより気になったことがひとつあって。
それは、自意識の地下室に引きこもってブログを綴る主人公、
ネクラーソフについて、
面白くないどころか、これを言ってる日本人何人目って話ですけど、いや、夜中ってこともあって、すごい面白くて。とうか微笑ましくて、
これ書いたとき私生活もグチャグチャで、
「今度こそは駄作かもしんない……」とか、
「いや、やっぱこれすごい傑作になるんじゃない?」とか、
言ってたドスエフスキーが、
付けた名前が偶然ギャグになってるっていうことがやたら感動的というか、だって、そんな意図もしないことで人を笑わせるってすごい偶然だし、その人が150年後の極東のよくわかんない国の人ってことがまたすごいし。まじ奇跡っていうか、偶然なんだけど、苦しかった苦しかったドストエフスキーが意図しないところで、人を笑わせてて、それが嗤うとかじゃなくて、なんか逆に勇気もらったっていうか、そういう奇跡的な偶然ってホントにあるんだなぁ、150年前ドストエフスキーは大変だったけど、おかげでさっき俺笑えたよっていう。ドストエフスキーは昔ホントにこの世界に存在したんだなってことが、なぜかリアルに感じられて、歴史と繋がれたっていうか、えらい事したよあなた、だって読んでみなよ内容、「地下室の手記」これほどのネクラーソフの名がふさわしい人はなかなかおらんって。ほんまえらいことした、下手したら小説本編よりも感動的だよ。だって、あんなグチグチ言ってる小説で、人を笑わすなんて。
とか思って、ドキドキして眠れなかったのは、やっぱりどう考えても夜中のせい、夜中って怖い。ごめんなさい。
〜〜〜〜
ロシア人関連で好きなエピソードがある。
亡命したロシア人が、西側のヨーロッパのどっかの国で「ここには何でも発言する自由があるのに、どうしてみんな夜通し議論をしないんだろ?」と思ったという話。ロシアでは家の中でみんなありとあらゆる言っちゃ行けないことも含めて話していたのに、ここでは誰もそれをしない。
(ぼく、ずっと待ってるのに、まだ誰もお茶会に誘ってくれないし。あーあ。)っていうやつ。
そもそも夜通し議論とか、喧嘩とか、そういう青春じみたことを経験していない。そもそも議論になるような持論とか信念もないし。あーあ。
CATEGORY: 思ったこと
DATE: 03/30/2013 18:04:52
今日は宗教の勧誘で目覚めた。
目覚めた!
「おはようございます」
その人はキリストの人だった。
こちらの気持ちを安らげ、落ち着かせるような深い声をしていた。
「お休みのところすみません、わたくし伝道の、」
思わずドアを閉めてしまった。
そのとき僕はまだ完全に目覚めてなかったのです。
またも夢を見ていた。昨日もちゃんと早めに寝られなかった。
反省はした。
眠くなる本を読もうと考えた、
一も二もない、ロシア文学だ。
ドストエフスキーの「地下室の手記」を読んだ。
眠くならなかった。むしろギンギンだった。
僕が間違っていた、
ロシア文学は眠い。なぜなら、ロシア人は議論が大好きだ。
四六時中どうでもいいことを議論する。
そして「手記」というのは、通常一人の人間が書く、記録のようなものだ。
いわばブログだ。一人論議だ。
議論好きな人間が誰に邪魔されるともなく、自説を好きなだけ開陳できるブログだ。
それはそれは眠いはず、
しかし、僕は間違ってた。なぜなら僕もまたここでこうやって、自説を開陳したり、主張、うんたらしてる。
そのような人間にとっては、人のそういうのを読むこともあんまり苦じゃない、むしろ楽だ。
相性が悪かった。良かったというか。
で、本自体の感想はどうでもいい、そんなことより気になったことがひとつあって。
それは、自意識の地下室に引きこもってブログを綴る主人公、
ネクラーソフについて、
面白くないどころか、これを言ってる日本人何人目って話ですけど、いや、夜中ってこともあって、すごい面白くて。とうか微笑ましくて、
これ書いたとき私生活もグチャグチャで、
「今度こそは駄作かもしんない……」とか、
「いや、やっぱこれすごい傑作になるんじゃない?」とか、
言ってたドスエフスキーが、
付けた名前が偶然ギャグになってるっていうことがやたら感動的というか、だって、そんな意図もしないことで人を笑わせるってすごい偶然だし、その人が150年後の極東のよくわかんない国の人ってことがまたすごいし。まじ奇跡っていうか、偶然なんだけど、苦しかった苦しかったドストエフスキーが意図しないところで、人を笑わせてて、それが嗤うとかじゃなくて、なんか逆に勇気もらったっていうか、そういう奇跡的な偶然ってホントにあるんだなぁ、150年前ドストエフスキーは大変だったけど、おかげでさっき俺笑えたよっていう。ドストエフスキーは昔ホントにこの世界に存在したんだなってことが、なぜかリアルに感じられて、歴史と繋がれたっていうか、えらい事したよあなた、だって読んでみなよ内容、「地下室の手記」これほどのネクラーソフの名がふさわしい人はなかなかおらんって。ほんまえらいことした、下手したら小説本編よりも感動的だよ。だって、あんなグチグチ言ってる小説で、人を笑わすなんて。
とか思って、ドキドキして眠れなかったのは、やっぱりどう考えても夜中のせい、夜中って怖い。ごめんなさい。
〜〜〜〜
ロシア人関連で好きなエピソードがある。
亡命したロシア人が、西側のヨーロッパのどっかの国で「ここには何でも発言する自由があるのに、どうしてみんな夜通し議論をしないんだろ?」と思ったという話。ロシアでは家の中でみんなありとあらゆる言っちゃ行けないことも含めて話していたのに、ここでは誰もそれをしない。
(ぼく、ずっと待ってるのに、まだ誰もお茶会に誘ってくれないし。あーあ。)っていうやつ。
そもそも夜通し議論とか、喧嘩とか、そういう青春じみたことを経験していない。そもそも議論になるような持論とか信念もないし。あーあ。