まわれアザラシ、棍棒よけて。

公演の宣伝用ブログ 兼 雑記

22歳⑬

TITLE: ずっとずっとずっと

DATE: 10/11/2012 20:55:02

 

先輩と飲みに行った
人のブログを読んだりした
授業を受けた、
本を読んだ、
レイモンドカーヴァーを読んだ、
町田康を読んだ、
三好十郎の戯曲を読んだ、
部屋の掃除をした、
茶色い地球儀を模した空気ボールを買った、
粗悪品だった、僕は悔しい
いや、悔しくない、
古本がちょっとずつ増えていく
読むのが遅い、
早くなりたい、
部屋が狭くなった、
引っ越したい、
きっとさらに狭くなるけど、
お金がない、
でも買い物したいし、する
さらにお金がなくなる、
いうほどピンチなのかわからない、
まぁいいんじゃないかなと思う、
死なないしたぶん、
死んだとしても、よくわからんし、死ぬこととか、
死ぬときは死ぬし、とか言えるぐらい死というものが遠い暮らしをしていて、
そうじゃない暮らしは想像できないし、そんなときが来るなら、まぁ来るんだろうし、
ちょっと面白いじゃん、
面白いかな、
わからないじゃん、全然想像できないじゃん、
体験するのかな私は、
ブログを書けてるし、
ありがたい、
ときどきはツイッターに書き込めるし、
去年よりは単位が取れたし、
歯医者からはずっと逃げてるし、
もう少しで矯正器がとれるし、
実家にも帰りたいし、
冬が来るし、
コートを買いたいし、
新しい服でおしゃれしたいし、
靴も買わなきゃだし、
いま鳥を煮込んでるし、
久しぶりに読んでる町田康は相変わらず笑えて仕方ないし、
この歳で初めて読んだ、サリンジャーは想像以上にムカつくやつだし、
ビートルズの曲は想像以上にいい歌詞ばっかだし、
最近驚いてることみんな昔から皆が言ってることばっかだし、
そろそろこの文体むかつくし、
鶏は手羽先だし、
煮込み料理なら餃子も加えてもいいし、
野菜入れてごった煮にするし、
きっとうまいし、
改行多いし、
戯曲書かなきゃだし、
遊びで色々書きたいし、
今はそうだし、
今を積み重ね、
あーーーーー、
眠いし
眠くないし、

あ、飽きたこの文体、
最近ずっといい気分と暗い気分の繰り返しで、今は結構いい気分、それは隣のスピーカーから眺めている奇妙礼太郎の音楽が想像以上にスイングしていてハッピーなのかもしれないし、明日が金曜日なせいなのかもしれないし、やっぱり鳥を煮込んでかもしれない。

いい気分と悪い気分の繰り返しで、しばらくブログを書くのも文章書くのもね、どっちかの気分の時に書くもんだから、そうじゃないときには気に食わなくて、凹んだり転んだり転がってわめいたり、ソファーの上で大きく猫みたいに伸びたりしていたけれど、けれどだよ、そんなことは当然のことなので、そんな気分がハイになったりローになったり、あれこれって躁鬱? とか思いつつ、あ、でもこれ薬とかいらねぇーのかな、うーんまだいらないわー、だって基本楽しいじゃん? でも、楽しいときも一抹の不安? どころじゃない、ふつーにまるっと不安があって人生の一場面、いまそのときを素直に楽しめなかったりするのだけれどそれも含めて正常っていうか、今んところ私はわりかし正常気味じゃない? 私、 わりかしちゃんと育てられたのじゃないかな、だって猫は殺したことはないしぼくはだって普通に可愛いし動物っていう、自己認識? 生ぬるさ? 頭、感情、ぐじゃぐじゃするのも自然だからそんなに無理してドープな方向にばかり物事考えなくてもいいんじゃないかなぁって感じ、考え過ぎちゃうところも含めて楽しい部分でしょそれも、私の?

私には私しかいないけれど、私をある程度共有してくれる人がいて、私もその人らのことあるいは人生をある程度共有したいなっていう愛情? 愛情友情で片付けるには日々複雑な想いをぐるぐる他人に対して抱いていて、こんちくしょう! あれ? ってことは他人も私にそうなのか? じゃあ僕も答えないとな、出来る限り! ってのは、怠惰だから、その人はどうして欲しいのだろう? ということも含めてぐるぐる考えつつ、僕なりの答えを行動言行挙動で示しつつ、帰ってくるレスポンスを期待しつつ、楽しみつつ、ときに落ち込みつつ、みんなありがとー!!
というようにこうやってつらつらと自分を鼓舞したり
あちこち飛ぶ思考と、奇妙礼太郎の音楽と、タイプのリズムで高揚してみたり、
いつ死ぬのかわからないけれど、
いつ恥かしい目に合うのか知らないけれど、
どこかで笑われたり、人のことをひと一倍馬鹿にしたり、しつつ、
東京ディズニーランド? いいじゃない? とか真顔で言ったあと、思いっきり馬鹿にしつつ、
そのディズニーが好きな人とも仲良くしたいんだ、
だってディズニー行きたいし!
尾崎や窪塚を馬鹿にしつつ、
恥ずかしい文章も書きたいんだ、
upするんだ、
というふうに言い訳! 
言い訳ばかり、たぶんこれからもなんだ、
うまくなりたい、
丸め込みたい、
おなかへった

そろそろ、鳥の様子みてきます、
おやすみ。



PS.換気扇回してなかった、危うく今死ぬとこだった。

 

〜〜〜 

固有名詞が出てくる。事実の塊が。

だけども、どうも色々なことが思い出せない。

そのとき何を書いていたのか、そのとき誰と話していたのか、

将来どうなりたかったのか。

だけど固有名詞を見ていると、なんというか、学生っぽい。

ビートルズTWITTER、ブログ、よくわからない自炊、躁鬱。

 

たしか、書くほどのことは、何も考えてなかった。

特に将来については。

 

〜〜〜〜

当時に比べれば憂鬱が強烈にくるのは減った。仕事をしているからだと思う。

だけど相変わらず気分の上り下がりは多いし、どういうわけか、今のところ俺は、大学生のような生活をしている。(企業に就職した3ヶ月だけ違う感じだったけど)学校がないだけで、人からお金をもらわず、家賃や食費や、税金やその他、諸費用を払っているだけで。

音楽も聴いて、本も読んで、将来のことをあまり深く考えず、生活している。

 

大学生のような、と言っても、人によってそれぞれ違う大学生であろうから、研究に打ち込む人もいれば、恋愛や友情にかけずり回る人もいれば、部屋で本を読んだり、TSUTAYAでDVD借りたりしているだけの人もいる。

 

僕は、一番最後の、だらだらした学生で、それ以外の在り方でいたことがない。

たまに演劇の公演に参加したり、企画したりするほかはだらついている。

 

周りには、目的を持っていたり、家族を持っていたりする人もいるけど、やはりだらついて見える人もいる。大人になれば、生活が急に変わるかと言えば、変わる人もいれば変わらない人もいる、というのが実感だ。でもそれは私の体験であって、世界のすごく狭い範囲を覗き、見聞きした限りの実感だ。

 

こう言うと、アメリカ人みたいだけど、自分の生活を変えるのは、結局自分だ。

同じような生活、同じような自分であり続けることは、かなりラクで、好ましいと感じがちだけど、なんだか馬鹿みたいだなぁ、ばかなのかもなぁ、とも思う。

 

大学生みたいな生活、を、分析して行けば、いくつかの要素に分けられると思う。

その要素の中には、好ましいもの(僕が正社員だったときに、求めていたもの)と、好ましくないもの(なんだか自分ってバカみたいだなぁ、このままでいいのかなぁ、など感じる部分)が抽出できると思う。

 

あくまで、僕の思う、大学生的、の基準に沿ってではあるが、

わたしの生活の一体どの辺が大学生的なのだろう?

 

・正社員として就職していない。

・日常生活においてスーツを着ない。

・人生において仕事をメインと見ていない。

 

あれ? こうして書き出してみると、フツーにいるぞこういう人。

 

・責任を持っていない。

 

これも、いる、かなぁ?

でも確かに自分の公演で、自分が責任者だぜ、みたいなときはあまり自分を大学生的だとは感じない。

 

・いまだ将来に何かがあると思っている。

 

ああ、これは核心に近い。

 

自分でやらなきゃ何も無い。まぁ学生のころからそうだったが、きっと周りが温かく、手厚く、適度にイベントもあったから、意欲というものが出てこなかったのだろうか。

 

時間がないので、ここで切るが、自分の中の大学生性を分析する作業からは何か得るものがありそうだ。