まわれアザラシ、棍棒よけて。

公演の宣伝用ブログ 兼 雑記

22歳⑫

ATITLE: 鳥を煮ている名も知らぬ鳥を

DATE: 10/11/2012 20:39:45

 

まるごと一匹の肉を料理したことがあるだろうか? 顔を知っている肉を食べたことあるだろうか? 

こないだお肉を食べました、いっぱい。いっぱいのお肉ですお肉。

この世には、決められた時間内ならいくらでも係りの者を呼びつけて、お肉を持ってきてもらった上、それを網で焼き、好きなだけ喰らえるという貧民棄民には想像もつかない世界があるのです、まさに魔窟!

そこで僕たちは美味しそうなブーブーやモーモーちゃんの死体の肉片を嫌というほど処理してきたのですが(この処理が美味しい美味しい)後日、ぶーぶーちゃんの親類たる、いのししを生でとっくりと見る機会があって、つくづく、この家族や親類たちを喰らってきたのかと思うと不思議な気持ちになりました。舌とか子宮とかおっぱいとかまでうまいとか、歯ごたえとか、タレがどうとか批評をしながらも執拗に燃やしてなんの衒いもなく口に運んでいましたおいしいおいしい。

いのししをみて、もっともっとこういう美味しいものを食べられるように努力しようと更なる決意を固めました。ありがとうミート!


〜〜〜

所沢に住んでたときに、猪(?)を飼っている家がいて、その猪が、通学路から見えた。基本は豚なのだけど、黒い毛が生えていて、常に白い泡を口周りから垂らしていた。そんな獰猛なクリーチャを眺めるのが好きだった。鼻息がうるさかった。

 

学生時代、屠畜、に関心のある友人がいて、 それはどういう関心だったのか、僕はよく掴めていなかったけれど、 その人は、ある島まで闘牛(日本の闘牛、牛同士が闘う)を見に行ったりしていた。 ぼくも『世界屠畜紀行』を読んだり、『いのちの食べ方』で屠畜の光景を見た。『ある精肉店の話』を観に、ポレポレ東中野まで行ったりした。 炎上した「ちはるの森(?)」という森狩ーる(もりがーる)のブログを閲覧したり、サラリーマンを辞めて猟師になった人の本を読んだりもしたけれど、結局、友人の持つ、その関心の核は僕の中には根付かなかった(人間に、畑のように根付かない作物と根付く作物があるとするならば、その土壌はいつごろどのように出来るものなのだろう?) 動物は好きだ。でも、その痛みについて考えたりすることはほとんどない。 考えてみれば不思議なことだが本身で考えようという気は起きない。 というより、最近、何か、自分と直接関係のないことを本身で考える、ということはあまりない。 あまり芸術などに触れてないからでしょうか。