20歳⑬
DATE: 02/19/2011 22:04:21 ----- BODY: 日芸の演劇学科に受かった、
あす、実家に帰る。
TITLE: 2月の読書 STATUS: Publish ALLOW COMMENTS: 1 ALLOW PINGS: 1 CATEGORY: 読書 DATE: 02/28/2011 18:47:52 ----- BODY: 今年の二月は、なんとなくメランコリック、でも生きる。
生きる。
作家の阿刀田高は、「自分は、読むのが遅い」と言う。
この人には、井上ひさし、筒井康隆、丸谷才一と同じく、読書家のイメージがあったので、意外だ。しかし、この後につづく文章がにくいっ。
「私は、読んだ本の内容は、ほとんど全て覚えています。よく、本を読んでも内容をすぐに忘れるという人がいるが、私にはわからない。それじゃあなんのために本を読むのだろう。」
に、にくいっ、なんというマリー・アントワネット。それができたら…、
僕は全て忘れる 上の話がなんの本に載ってたかすら、思い出せない。
きっとざるなんだ、僕の脳みそは。ピンク色のざるなんだ。黄色いサルの、ピンクざるなんだ。意味はない。
よって、下記の本が、ホントに、二月中に読んだのか、覚えてない。もっと読んだ気もするけど、タイトルごと覚えてない。
やっぱり、意味ねぇーじゃん。
映画もけっこう観たけど、覚えてない。きっといつか、すげーアイデア思いついたぞ、とか思ったら、過去に見た映画のネタで、知らないままパクってしまうに違いない、ま、ソレならソレでいいけど。
2月の読書
『画図百鬼夜行全画集』鳥山石燕
江戸時代の画家、鳥山石燕の妖怪画集を全点収録したモノ。水木しげるの世界です。「雪女」、「ぬらりひょん」などの妖怪画がぎーっしりと、詰まっている。
しかも、前期(それでも50歳すぎ)の絵を除き、全ての絵には、妖怪の説明が石燕直筆で載っている。コレが面白い、ためになる。
面白くて、ためになる、といったら、むかし、小学校の図書館にいっぱいあった『〜のひみつ』シリーズを思い出す。やはりどーでもいい。
石燕の教養は相当なものだったらしく、
宇治拾遺物語、伊勢物語、古今著聞集、徒然草、枕草子、源平盛衰記、曽我物語、太平記、平家物語…
和歌なら、古今和歌集、万葉集…
怪談集なら、御伽百物語、怪談全書、奇異雑譚集(きいぞうたんしゅう)、諸国百物語、剪灯新話(せんとうしんわ)、太平百物語、百物語評判…
好色一代男、西鶴諸国ばなし、金々先生栄花夢などの浮世絵草紙、
発心集(ほっしんしゅう)、勧化一声電(かんげいっせいでん)、てっこうろく(漢字変換のできない)を含めた仏教説話。
三国志演戯、周礼(しゅらい)、小説、春秋左氏伝、神仙伝、山海経(さんがいきょう)荘子、捜神記、抱朴子(ほうぼくし)、文選(もんぜん)、酉陽雑俎(ゆうようざっそ)、礼記、列仙伝、論語などの、中国古典。
博物学書、本草綱目、和漢三才図などの、本草書。ほかに、風姿花伝、七十一番職人合歌…
能のテキストからの引用も多く、有名どころでいえば、『鵺』とか。ほかに、
葵の上、安達原(「黒塚」鬼婆の話ですな)、大江山、翁、鉄輪、関羽、菊慈童、黒主、鞍馬天狗、鐘馗、猩猩、殺生石、高砂、土蜘蛛、道成寺、橋姫、芭蕉、花筐、鉢木、紅葉狩、頼豪、羅生門…
などを引用したり、絵や、その解説の参考にしていると言われる。
以上ぜんぶ、解説からのコピーだけど、なんか、タイトル並べるだけでも頭良くなったような気がするなぁ。
『風味絶佳』山田詠美
この人の小説は好きキライが分かれるそうだけど、僕は好き。
作家の価値観に、「そうそう、そんな感じだよ」とか、「うまく代弁してくれるなぁ」みたいなところがある。
太宰と同じく、作家に共感できるかが、読む上での、快不快を分けるのかも。でも、。ひねてるように見えて、じつはまっとうな価値観だったりする。
そんなことは、ともかく、文章、小説がうまいなぁ、と思った。
肉体労働者たちをめぐる物語を集めた短編集なのだけど、2番目の『夕餉』がとくにいい。
『海と毒薬』遠藤周作
シュウサク・エンドウといえば、シュウヘイ・フジサワと、よく間違えた。
戦前に、捕虜で人体実験を行った、九州帝国大学の、教授、医学生にスポットを当てた作品。熊井啓が映画化もしている。わりかし薄い本だ、物理的には。
実際にあった事件だけど、人物名から人間関係のすべては、周作による創作。
主人公たちが医者であるゆえに、診察と偽られれば、笑顔で汗を流しながら、素直に従う捕虜たち。健康な肺を切り取られ、人はどのくらい肺がなくなっても生きられるか、調べられる。血管から、生理食塩水をまぜられ、どのくらいまで、血液は代用できるかの実験。死ぬまでつづく実験。
残酷が行われる瞬間よりも、それが行われるに至る、過程が緻密に描かれていた。やるせない環境だった?誰も悪くない?本当に?罪の意識というものは、神聖なものなんだろうか? 『罪と罰』は、最後に主人公が、さっぱりとしているのが、どうなのかなっと思ったけど、『海と毒薬』はもっとやるせない、主人公は最後、好きな詩を口ずさもうとして、それが、もうできないことを知る。
遠藤周作をもっと読もうと思った。
『放送禁止歌』森達也
この人の文章はいつも、最後まで確信がない。「こうなのだ!」ではなく、「こうなのか?これからも考えなければならない」というような文脈で終わることが多い。
放送禁止歌とは…、名前でだいたいわかるだろっ。放送したらダメな歌!
この本は同名の『放送禁止歌』という、ドキュメンタリーを作ろうとするところから始まる。
『A』と同じく、初めは、どこの局に持ちこんでも、「そんなのダメだ!」と言われる、
あるプロデューサーから、「これは作らなアカン番組です!」と太鼓判を押されるまで、5年間、企画を温めることとなる。
『楽しい古事記』阿刀田高
こじきがよくわかった
『世界悪女物語』澁澤龍彦
あくじょがよくわかった
『さかさまの世界史怪物伝』寺山修司
せかいしのなかのかいぶつたちがよくわかった
かいじゅうたちのすむところ
『エピソードで読む現代哲学史』掘川哲
うぃとげんしゅたいんはほもだったことがよくわかった。
『90分でわかるカント』ポールストラザーン
かんとがよくわかった? たぶんこれだけじゃわからないとおもう。
『素晴らしき愚民社会』小谷野敦
うだうだ言ってろ、じじいが。
と思った。
でも、じじどもがうだうだ言う本もたくさん読まねばと思う。
よっぽどなヤツは除くけど。
『自由な新世紀——不自由なあなた』宮台真司
1番落ち込んでるときに、読んだ。もちろん更に落ち込んだ。恋は全てゲームだとか、生きる意味はないとか。
「生きる意味はない、でも生きろ」と、唱える宮台の大ファンが、東大の秀才にして、ホントに自殺ちゃった話とか。
読んでいろいろ考えたけど、これ以上考えると、危ないと思って、考えるを止めた、エポケー。
『私は臓器を提供しない』
それでも、僕はするかもしれない。
『妄撮』
エロ本です。エロ本には、いつも色々なことを教えられる。読んだ後のがっかり感には、いつもハッとする。
これが人生かぁ。
『淀川長治とおすぎの映画コレクション』淀川長治+杉浦孝昭(おすぎ)
映画評論家2人の対談集。
淀川さんがホモセクシャルだったことは、ずっと前から知っていた。それは、映画や人をみる、温かくも、独特のまなざしをはぐくんだ、一要素じゃないかと思う。すばらしい人だったんだろうな。
おすぎと淀川さんは、文中で、お互いを、母と娘だと言い合う。いろいろと肉体を超越した、すてきな関係だなぁ。
『ニューシネマパラダイス』やら、『スタンドバイミー』やらの有名作から、ドイツ、イギリス、デンマークの映画まで、24作の名画について語り合う(中には酷評もあるが)二人とも、感動するところが、いかにも細部だったり、深読みだったり、映画を死ぬ程見てきた人たちらしい対談。
ハリウッドの、あの、何もかも忘れてスカッとする、バカバカドンドンも映画の良さなら、骨太な人間ドラマも、映画の本領(僕はこっちが好き。)だろう。
とにかく、淀川さんからは、『ニューシネマパラダイス』ばりの、映画愛を感じたっす。
『I-note 演技と劇作の実践ノート』高橋いさお
『面白ければOKか 〜現代演劇考〜』三浦基
別記します。
〜〜〜
なかなか気がのらないので、つづきはまた今度。
あとで、ちゃんと書き直します、だって、ざるだもん。
〜〜〜
出た。駄文。
アーカイブ。初めは今の自分から見て良い感じの文章ばかりにしようと思ったけれど、(ベスト・アルバム的な)
駄文だと感じるものこそ、あえて載せた方が面白いと気づいた。
だって、これを書いたときの自分は今の自分と違ってる。
今の自分はずっと前から今の自分ではないのだ。
他者もそうで、ずっと今の他者のままだということはない(数年前も数年後も今とは違うはずだ)そういうことを思い出せるはずだ。
そう、ぼくは(ぼくらは)今の自分以外の自分が存在したこと(未来にもそうなること)を、よく忘れがちだ。メメント駄文。メメント若さ。
それにしても、しょぼい感想だと思ってしまうことは、否めない。
無根拠にそう思うこと自体がまたしょぼいが。このことはまた最後に。
〜〜〜〜
日大に入って、一年後くらいに、本の趣味が露骨に変わった。
高校のときは日記をつけてないので、もう覚えていないが、ドストエフスキーとかトルストイとか読むのが、いいことだと思ってた。(いいことってなんだよ。目的がないなぁ。)
あと、部活で、文章を書くなら、志賀直哉がオススメだよ。みたいな情報を聴いて、短編のみならず、『暗夜行路』とかも読んでいた。子供って素直だ。
阿刀田高や筒井康隆は家にあったから、上京した自分の本棚にもそのままあった。
阿刀田の雑学の披露の仕方とかが、すごい、自分に影響を与えていた気がする。
あと武者小路実篤詩集とか持ってた。
そして、日大の一年生のとき、先輩が家に泊まりに来て、
ぼくの本棚見て「古っ、……あ、でも筒井康隆は読んでんだ。あ、太宰もある。読むべきものも読んでんだ」みたいなすごくやな大学生っぽいやりとりののち、僕の読書の趣味は変わった。
先輩に薦められて、文藝の2009年の「現代作家ガイド」を読んだり、豊崎由美の書評集や『文学賞メッタぎり』とか、『百年の誤読』とか読んで。
「あ、実篤とか阿刀田高って、ダサいんだ」みたいな価値観を実装した。
「マルケスいけてる。町田康もいけてる。筒井はOKで星新一はそんななんだ(←たぶん)え、小松左京は女の書き方が……(以下割愛)」
そういう風な価値観をすごい内面化した。今でもかなり染み付いている。
のちに、メッタ切りコンビに対するアンチも大分目にしたけど、
基本、ここで得た価値観は、根強い。二人とも物言いが魅力的だからだ。
やはり言葉というのは何を言うかではなく、誰が言うか、どのように言うか的なところがあって、
出会って間もなく、ロクに話してないうちに「○○読んでるの? でもさ、○○ってもう古くない?」みたいなこというやつは信用できないが(←いるんだよ。演出家とかで、お前は、おれに自分の影響力を浸透させるだけの説得力、存在感を発揮しない内から、そんな容易く人の趣味を否定するなんて、なんて目の前の人間のことが見えていない奴か、人間苦手か、と思う)
メッタ切りコンビはたくさん読んでて、話が面白いから、否定すんのもわかんなぁという感じ。そもそも実際あったわけじゃなくて、本ごしにたくさん言葉を掛けてくれてるから、受けとめられるというのがあるけど。
さて、「否定する」とかそういう話になったけど、
初めの方に言った「しょぼい」という価値観がそれだ。
ぼくの説得力のレベルだと、
人が読んだ物や、抱いた感想を、安易にしょぼいと言ってはいけない。
と思う。
でもやっぱり趣味の善し悪しとかは存在するから、
洞察の深い浅いとかは存在するから、
しょぼいと言ってはいけないとかずっと言ってたらつまんない。
(部分、あるいは全面的に)否定することで、対象を魅力的にすることさえできるし、志賀直哉や武者小路実篤を斬った、メッタぎりコンビのように。
しょぼさを自覚して、変わろうとする、
趣味を良くする、レベルを上げる、
というのはこういうゲームをしてたら自然と目的化する。
別に読書のレベルを上げることばかりが人生の妙ではない、むしろ、そんなレベルは、そのゲーム以外なんの価値もないということも忘れなければ。楽しくいられることでしょう。
〜〜〜
そもそも読んだ本の内容をまとめたり、感想を書いていることは素晴らしいことだと思う。えらい。